平安宮 内裏弘徽殿跡

京都府京都市上京区土屋町通出水下る東入北側
京都府の平安史跡1

  
こきでんと読みます。

内裏の後宮七殿五舎の一つで、当初は北の登華殿(とうかでん)とともに女御・更衣の共同居住区の西町にすぎませんでした。

後宮の中心であった常寧殿(じょうねいでん)の機能を引き継ぎ、清和・陽成天皇時代には一時的に天皇の居所にもなりました。

 
後宮の中でも重要な殿舎であり、「源氏物語」では朱雀院の母の弘徽殿女御が住み、女御は、光源氏の母の桐壺更衣(きりつぼのこうい)が帝の寵愛を受けているのを恨んで執拗な嫌がらせをして死に至らしめました。

後に女御の妹の朧月夜(おぼろづきよ)がここに住み、光源氏と塗籠で結ばれたことが源氏の須磨隠棲(すまいんせい)の原因となりました。

『現地案内を参照』

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