東三条殿址碑

京都府京都市中京区押小路通釜座西北角町
京都府の平安史跡2

  
「とうさんじょういん」

この辺りを中心として二条通、御池通、新町通、西洞院通に囲まれた東西約130m、南北約280mに及ぶ細長い地域をいい、平安時代に隆盛を極めた藤原氏の邸がありました。

はじめ醍醐天皇皇子・重明親王(しげあきら)の邸でありましたが、平安時代初期に藤原良房が譲り受けた後は、藤原氏出身の女子で皇妃、母后となった人が居住する慣わしとなっていた所です。

 
藤原兼家(東三条殿と称した)の姉娘超子は冷泉天皇の女御となって三条天皇を、妹娘詮子は圓融天皇の女御となって一条天皇を、それぞれここで産んでいます。

殊(こと)に詮子は一条天皇の即位後、皇太后となり、出家して東三条院と称しました。

その後、邸は藤原道長に引き継がれ、邸内は尊美を極め、庭内池には竜頭船を浮かべて、天皇の行幸を仰ぎ、公家の遊宴が盛んに行われました。

その華やかな様は「本朝文粋」にも記されていましが、邸は安元3年(1177)火災で焼失するのです。

『現地案内を参照』

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