知立神社

愛知県知立市西町神田12
愛知の神社めぐり
   

第12代・景行天皇の時、東国平定に就いた日本武尊が当地で戦勝を祈願し、平定後の帰途に感謝して建国祖神の4柱を祀ったのが始まりです。

主神は、??草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)で、神武天皇の父と云われています。

彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと)は??草葺不合尊の父、玉依比売命 (たまよりびめのみこと)は??草葺不合尊の妻で、神日本磐余彦尊 (かむやまといわれびこのみこと)は神武天皇です。

「東海道名所図会」には、「石橋は神籬(ひもろぎ)の外にあり、池を御手洗(みたらし)という、片目の魚ありとなん」と書かれています。

片目の魚は、身代わりとして娘を目の病から救ったためと云われています。

神籬(ひもろぎ)ちは、神道において神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合、臨時に神を迎えるための依り代となるもの)だそうです、初めて知ったね。

嘉祥3ねん(850)、天台宗僧・円仁が神宮寺を創建し、多宝塔を建立し、現存する多宝塔は永正6年(1509)、重原城主・山岡忠左衛門が再建しています。

明治の神仏分離令の際、祀られていた藍染明王を総持寺に移し、相輪を除き、瓦葺にかえ「知立文庫」と名を替え、取り壊しの難をのがれたのです。

知立、名古屋から名鉄、知立で乗り換え2両で豊田へ、いい旅の途中なんだよね。

『現地案内&Wikipediaを参照』


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