兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1-1 | |
兵庫の神社めぐり1 | |
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主祭神は楠木正成です。 河内国に本拠地をおいた武将で、元弘元年(1331)後醍醐天皇に応じて挙兵し、後醍醐天皇が笠置山に入ると、正成は下赤坂城を築いて幕府勢と戦いました。 正成は城に火を放ち落ち延び、後醍醐天皇は隠岐へ流されました。 再び正成は千早城に挙兵、数万の幕府方と戦い敗走させ、後醍醐天皇は隠岐を脱出、ついに鎌倉幕府は滅亡していくのです。 |
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後醍醐天皇は京都へ入り、自ら政治を行うこととなりました。(建武の中興) しかし武士が不満を持ち、足利尊氏は将軍となって反旗を翻えします。 尊氏は一旦は九州へ敗走するのですが、勢力を回復し、京都を目指します。 途中、神戸の湊川にて、楠木軍は700騎の手勢で尊氏勢を迎え撃つのですが、激しい戦いでわずか73騎となるのです。 |
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「徳川光圀公御像碑」 徳川光圀公は、元禄4年(1691)水戸の藩主を辞して、西山荘に隠退し、大日本史の編纂に着手されました。 翌元禄5年、大楠公を景仰して「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立し、その御盛徳を天下に顕彰されました。 |
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「楠木正成公墓碑」 延元元年(1336)5月25日、一族十六騎、郎党六十余人と共に自刃。 その地に湊川神社が創建されるのです。 『現地案内&Wikipedia参照』 |
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