泊神社

兵庫県加古川市加古川町木村
兵庫の神社めぐり
   

神代に天照大神が天岩戸にお隠れになったときに、大神の怒りを解く為に、群神事計り二つの御鏡を造ります。

のちに一つは伊勢神宮に祀られ、一つは海に流されました。

大和時代、海に流された御鏡が海岸の檍(もち)の木のそばに流れ着いたことから、この地に檍原泊大明神(あおきはらだいみょうじん)として祀られたと云われています。

飛鳥時代、聖徳太子が鶴林寺を建立の際、側近の棟梁の秦河勝が紀伊の国から自身の氏神である国懸大神(くにかかすのおおかみ)を勧請しました。

南北朝時代の歴応2年(1339)、大井三樹伊予守宰が石弾城を築き、赤松氏に従っていたのですが、山名宗全氏により滅ぼされました。

承応2年(1653))には宮本武蔵の甥で養子の宮本伊織が全社殿一式を再建しました。

本殿裏の二基の灯籠は、右側が宮本伊織、左側がその一族である田原正久が寄進したものです。

『現地案内を参照』

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