金前寺(こんぜんじ)

福井県敦賀市金ケ崎町1-4
福井のお寺めぐり
   

天平8年(736)、四十五代聖武天皇の勅願により泰澄大師(たいちょう)が十一面観世音菩薩の座像を刻み、本尊として開創しました。(現在の金ヶ崎宮の地)

弘仁2年(811)、弘法大使(空海)がご留錫(りゅうしゃく:行脚中の僧が一時他の寺院に滞在すること)あり、その頃は十二坊を有し壮麗と云われています。

南北朝の延元2年(1337)、南朝方の新田義貞が後醍醐天皇の皇子である恒良親王と第二皇子尊良親王を奉じて,、金ケ崎城にて北朝方の斯波高経軍と戦いました。

敗れた新田義貞は敗走し、尊良親王および新田義貞の長男・新田義顕は当山観音堂にて自害されています。

元亀元年(1570)、信長による越前朝倉氏攻めで、朝倉氏が築いた金ケ崎城は落城、金前寺も兵火により焼失します。

本尊の観音は焼失をまぬがれ、寛文二年(1662)、打宅宗貞(うたむねさだ)らが、現在地に観音堂を再建しました。

『現地案内&Wikipediaを参照』

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