餘慶寺(よけいじ)

岡山県瀬戸内市邑久町北島1187
岡山のお寺めぐり
   

本堂(観音堂)は永禄13年(1570)に建立、正徳4年(1714)に再建されたものです。

正面の須弥壇(しゅみだん:本尊を安置する場所)には慈覚大師御作と云えられる秘仏千手千眼観世音菩薩、さらに御前仏には観音聖地普陀山より勧請した御像をお祀りし、両脇には右に天台大師、左に伝教大師をお祀りしています。

薬師堂は、古くは山のふもとにあったと云われています。

薬師如来を祀るため、正面の扁額(へんがく:建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲げられる額)、には「醫(医)王窟」とあり、古くから眼病など病気平癒を信仰されています。

下の写真は児島高徳公、和田範長一族供養塔です。

昔、このお寺の地は和田範長一族の居城や居館があったところで、児島高徳は7才の頃から一族によって育てられました。

22才の時、後醍醐天皇が隠岐遷幸の途中を船坂山で待ち受け、奪い返そうとして失敗し、院庄まで後を慕うて行き、桜木に十字の詞を書き留めています。

また25才の年、足利尊氏が叛いて九州から攻め上がって来た時、熊山にて旗挙げをし、新田義貞を助けに行ったのもここから出陣しています。

明王院や恵亮院は、和田一族の菩提寺として現存しています。

『現地案内を参照』

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