荏原城

松山市恵原町

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松山自動車道、「松山IC」から国道33号線を南へ、重信川を渡り「拾町」から県道23号線を東へ走ります。

1kmほどの「広瀬」から194号線を南へ、細い道になってくると東側には荏原城(えばら)がありました。
   
   
河野十八将の一人、平岡氏のお城。

南側の入口に案内、くるりと回ってきたよ。

戦国時代には、湯築城の河野氏を土佐からの侵入を防ぐ為のお城だったんだ。
 
  
全体が四角い平地で、高さ5mの土塁を周囲に築き、濠で囲んでいるよ。

内側は平地で、その四隅に櫓があったらしく、西南の隅には石積みがあったらしい。

河野十八将、またまた気になる数字だね。 18人はどこのお城の誰なのかな。
   

   
この城跡は、室町時代からの戦国期、伊予の豪族河野家十八将の首位であった平岡氏代々の居城跡です。

高さ5mほどの土塁を周囲に築き、方形の平地で、長さ約東西130m、南北120m、堀の幅は北側20m、西と東は14m、南は10mで、南側で外とつながっています。

四隅に櫓があったらしく、南西の隅に石積みがあり、矢竹が植えられているのは、この期の城塁に共通する特色です。

建武二年(1335)、忽那氏が「会原城」で戦ったという記録が『忽那一族軍忠次第』にあり、築城はそれ以前です。

土佐からの侵入を防ぐ拠点でしたが、天正十三年(1585)、平岡通倚(みちより)の時、秀吉の四国統一により、道後湯築城とともに落城するのです。

『現地案内を参照』

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