今治城

今治市通町

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戸内しまなみ海道で四国へ渡る、「今治北IC」から国道317号線を南へ走ります。

2008年8月、暑い四国。 市内の真ん中には今治城(いまばり)がありました。
   
   
藤堂高虎が九年の歳月をかけて築いたお城。

本丸には五層の天守閣、櫓や城門など二十数棟の周りに三重の濠をめぐらせた。

門の所、高校生が沢山座ってた、クラブ活動だね。 蝉の声、野球で響く、帰りかな。
 
  
在城七年で高虎は、伊勢の津城へと転封、代わって養子の藤堂高吉が藩主となりました。

この高吉も伊賀名張へ国替えとなり、伊予松山藩から松平定房が入り、以後十代を経て明治を迎えます。

せっかく建てたのに、国替えはきびしいなね。 それでもがんばる築城の名手、藤堂高虎には城が似合うんだよね。
   

   
藤堂高虎公は慶長五年(1600)、関ケ原の合戦に東軍・家康方の先鋒として戦功をたて、伊予半国二十万三千石を与えられました。

当時、諸大名中随一の築城の権威であった高虎公は、内海において海陸の要衝である今治を城地と定め渡辺勘兵衛を築城奉行に木山六之丞を普請方として慶長七年より九年にかけて、城壁高さ六間及至八間を築きました。

本丸には五層の天守閣、その他には櫓城門等二十数棟を配し、三重の城濠をそれに海水を導入して当時としては、他に類例のない一大平城を構築したのです。

また公は、家康に信任され慶長十三年伊勢の津に国替え増封されたが、天守閣は公が家康から丹波亀山の築城を命ぜられた時、献じて亀山城に移築しました。

その後、今治城には義子・高吉が二万石で維持し、更に寛永十三年(1635)に伊勢長嶋より久松定房が入城し、後三万五泉五千石で世々十代を経て、明治維新となりました。

『現地案内を参照』

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