松山市丸之内 | |
|
|
Top 愛媛県のお城一覧 | |
松山市の中心、勝山には松山城がありました。 2008年8月、暑い夏は松山、もっ長くいたかったよね。 |
|
室町時代以前は、「味酒山」と呼ばれていた。 南北朝時代、南朝方が砦を築くと、北朝方は湯築城で対抗したそうな。 戦国時代、河野氏の湯築城の前衛基地にもなりました。 今では、賤ケ嶽七本槍の一人・加藤嘉明の名城なんだよ。 |
|
松山城を築く候補地は3つあった。 ここ勝山、天山、御幸寺山である。 当時の幕府は、諸大名の築城申請に対して、第一候補には許可を出さなかった。 そこで嘉明は、第1を天山、第2を勝山、第3を御幸寺山で申請、幕府は第2の勝山に築城を許可するのです。 |
|
朝早く、東側のロープウェイ近くに駐車。 三階までエスカレータ、そこから歩いて上ります。 見上げると、リフトですいすい、でもあまり変わらないよ。 どこかで見たようなキャラクタ、彦根かな。 今回の愛媛探索、正岡子規・秋山兄弟の「坂の上の雲」。 ゆっくり歩くのが似合う街、それが松山なんだね。 |
|
|
|
永禄六年(1563)、加藤嘉明は三河国永良郷に生まれます。 最初は徳川氏に仕えていたのですが主家を背いて、近江で加藤景泰に見出され、景泰の養子となり秀吉の小姓に加わります。 天正六年(1578)、播磨三木城攻めを初陣とし、賤ケ嶽の戦いでは七本槍の一人として名声をあげました。 天正十三年(1585)、四国征伐ののち淡路の志知城主となりました。 文禄・慶長の朝鮮出兵に従軍し、その功績によって伊予国が加増され、秀吉が世を去ると関ケ原では東軍に属し、その論功行賞で松山城を築くのです。 『参考文献を参照』 |
|
|
|
Home Top 愛媛県のお城一覧 |