大洲城

大洲市大洲

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松山自動車道、「大洲IC」から国道56号線を南へ、大洲の街には大洲城(おおず)がありました。

2008年8月、暑い四国は南へ走る。 四国には、険しそうな高い山があるのにびっくりするよね。
  
  
お城を築く時、肱川(ひじ)の洪水で石垣や櫓が流された。

そこで人柱を立てることになり、「おひじ」という娘が選ばれた。

白装束の「おひじ」は最後に、「お城の名と、川の名を、わたしの名前と同じにして」と言い残します。

大洲城の別名は、比志城。 肱川も比志川と云われています。
 
  
ここからの眺めはいい、東側の肱川の対岸、大洲冨士が見える。 人柱伝説、すこしこわいな。

夜のライトアップ、川からの眺め、白く浮き上がるお城。 美しさと、悲しき物語があるんだね。
   

   
元徳二年(1330)、宇都宮豊房が伊予国の守護職に任じられ、翌年には地蔵嶽城を築きました。

豊房のあと、宗泰・泰輔・家綱・安綱・宜綱・清綱・豊綱と続くのですが、豊綱の時に長宗我部氏との戦いに敗れて、家老・大野直之が城主となり、大津城と呼ばれました。

のち、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治を経て加藤貞泰が継ぎ、二代藩主・泰興の時には大洲城と呼ばれています。

『参考文献を参照』

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