勝山市平泉寺町 | |
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北陸自動車道「福井北IC」から九頭竜川に沿って416号線を東へ走ります。 勝山市街から157号線を南へ、勝山城博物館の手前を東へ曲ると間もなく平泉寺城(へいせんじ)があります。 |
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ここは白山神社、地図にも平泉寺城跡となってるよ。 養老元年(717)、泰澄が開いて、のち延暦寺に属します。 越前国内で争乱があれば、必ず登場するのが平泉寺と豊原寺の衆徒でした。 でも一向一揆衆に攻められて、焼失するんだね。 |
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駐車場から鳥居をくぐる、石段が続く、一歩づつ大樹と苔の静けさに入っていくんだ。 ゆっくり見学したい気持ち、でも西へ向かうよ。静けさよりも、慌ただしさが勝ってしまったね。 もし来られたら、半日ぐらいは静けさの勝る、山中まで歩いた方がいいよ。 |
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治承四年(1180)、木曽義仲は信濃で挙兵、全国で源平争乱が始まりました。 寿永二年(1183)、平氏は義仲追討のために京都から北国へ向かいます。 義仲は平氏の軍勢を迎え討つため構えたのが燧城(ひうち)、その時、平泉寺の長吏斉明威儀師は門徒衆一千余騎を率いて、燧城に立て籠っています。 南北朝時代、建武三年(1336)、新田義貞は恒良・尊良両親王を奉じて金ヶ崎城に陣を置きました。 しかし越前守護・斯波高経らの北朝方により落城します。 金ヶ崎城の後詰めの杣山城主・瓜生保の援けで義貞は杣山城に入り、府中に陣居する高経と対抗します。 この時、三峰城(鯖江市)に籠った平泉寺衆徒と共に戦い、新善光寺城を落として高経を足羽城(福井市)に追いやりました。 義貞は足羽城を包囲するのですが、藤島城に籠城する平泉寺衆徒の反撃にあい、ついに灯明寺畷で討死するのです。 応仁・文明の頃、朝倉氏と甲斐氏との戦いでは、朝倉氏に付き、また一向一揆の際にも朝倉氏に味方しています。 朝倉義景は、一乗谷城が信長の軍に攻め込まれた時、平泉寺に援軍を求めました。 しかし平泉寺側が断ると、一乗谷を放棄した義景は大野で自害するのです。 本願寺顕如により平泉寺攻撃の命が出され、一向一揆衆は平泉寺の砦だった村岡山(勝山市)を占領します。 平泉寺は討伐のため景鏡に兵を付け村岡山を攻撃、しかし景鏡は討ち取られ、ついに平泉寺は全焼するのです。 『参考文献を参照』 |
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