福井市中央1丁目 | |
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北陸自動車道、「福井IC」から西へ、JR福井駅の西、柴田神社の所が北庄城(きたのしょう)だったんだね。 2008年4月、越前の旅も終わだよ。 |
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福井県は越前探索、最後は北庄城だよ。 柴田神社、この辺りがお城だった。 なんと九層の天守閣だったらしい、石垣が復元され、うまく保存されているね。 戦国時代の興味は、この人物達からもらった、そうかもしれないね。 |
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「お市の方」 賤ケ岳の戦いで敗れた勝家は、お市の方と共に自害します。 娘は三人、茶々・お初・お江だね。 茶々が淀殿、秀吉亡きあと大坂城を守り、家康によって散るんだよ。 不思議なもので、信長の魂が戦国の最後まで残っているんだ、歴史の興味深さなんだよね。 |
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信長は、一向一揆を壊滅させた直後の天正三年(1575)八月に、越前49万石を柴田勝家に与えました。 勝家は足羽川と吉野川との合流点に北ノ庄城を構築します。 現在の柴田神社付近が本丸と伝えられています。 天正九年(1581)四月、北ノ庄を訪ねて来た、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、本国あての書簡の中に、「此の城は甚だ立派で、今、大きな工事をして居り、予が城内に進みながら見て、最も喜んだのは、城および他の家の屋根がことごとく立派な石で葺いてあって、その色により一層城の美観を増したことである・・」と報告しています。 秀吉が勝家を攻めたとき、その戦況を小早川隆景に報じた天正十一年五月十五日付の書簡の中では、北ノ庄城について「城中に石蔵を高く築き、天守を九重に上げ候・・・」と記して、九層の壮大な天守閣であったことが知られています。 勝家はまちづくりにも創意を施し、城下の繁栄のために一乗谷から社寺・民家等を北ノ庄へ移転させるなどに務め、足羽川に架かる橋(九十九橋)を半石半木の橋に架設したと言われます。 柴田勝家は今日の福井市の基礎を築いた人なのです。 『現地案内を参照』 |
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