越前市池泉町 | |
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北陸自動車道「武府IC」から東へ2kmぐらい、南の201号線の味真野神社には鞍谷館(くらたに)がありました。 | |
小丸城から南へ1kmぐらい、味真野神社が鞍谷館だよ。 室町末期の鞍谷氏の館。 古代の頃は、継体天皇の宮居とも云われているよ。 |
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西側には土塁、越前の里側には堀跡と思われる跡がきれいな堀で整備されているよ。 謡曲「花筐(はながたみ)」の大きな石碑がある。 雲の上人と里の女との隔てない恋を美しく描写した狂女物です。 |
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「花がたみ」 越前の国 味真野におられた男大迹皇子は急に皇位につくこととなりました。 愛する照日の前に、花筐と玉章を送って上京、継体天皇となられます。 ある日の御幸の折、狂い歩く女をお見かけました。 持っていた花筐から、照日の前と分かり、都に連れて帰られたのです。 |
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室町末期の鞍谷氏の館(鞍谷御所跡)の一部です。 現在は味真野神社の境内をコの字に囲むようにして、北・西・南面の土塁と、北・西面の空堀を残しています。 いい伝えによれば、古代の男大迹王(継体天皇)の宮居の跡といわれ、中世になっては足利将軍義満の次男・義嗣が上杉禅秀の乱(1416)に連座して殺され、その子。嗣俊がこの地に住み、鞍谷氏と称し三代栄えました。 最近の説では、斯波義俊の館跡といわれ、義俊は、応仁の乱の原因にもなった斯波家家督相続争いの斯波義廉の子息で、朝倉氏によって名目上の守護として越前に迎えられ、はじめ一乗谷に在住したが、文明十八年(1486)にはこの地に移っています。 子孫は代々鞍谷氏を称し、朝倉氏と姻戚関係を結びながら居住し、朝倉氏滅亡後は小丸城を築城した佐々成政と臣従関係をむすんでいきました。 『現地案内を参照』 |
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