龍門寺城

越前市本町

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JR北陸本線「武生駅」を西へ、南西方向、直線で500mぐらいには龍門寺城(りゅうもんじ)がありました。
   
  
お寺が沢山あるよ、雨もいっぱいだよ。 やっと龍門寺、府中の南端だから軍事上の要所だった。

信長の朝倉氏攻めの時の本陣だよ。

  
 南の堀跡は墓場、ここは土塁跡だね。

天正十一年(1583)、前田利家が在城の頃、賤ケ岳の戦いで敗れた柴田勝家を迎えたのも龍門寺城だったそうだよ。

琵琶湖一周も途中、賤ケ岳に行きたいなぁ。
  
  
龍門寺は正安元年(1299)、悦巌崇善によって創建されたと云われています。

この地は、府中の南端にあたることから、軍事上の要所とされ、天正元年(1573)には信長が朝倉攻めの際に、ここを本陣に構えました。

朝倉氏滅亡後、同2年には越前の門徒領国化をねらう一向一揆勢によって支配され、この討伐のために、同3年信長は秀吉・光秀らに龍門寺城に攻め入らせ、再び龍門寺城に入っています。

その後、信長は府中とその近辺の10万石を、府中三人衆(不破光治・前田利家・佐々成政)に支配させ、龍門寺城には不破光治が入りました。

天正13年(1585)に若狭の木村常陸介が府中を支配し、城内の南隅に龍門寺を再建しました。 現在、南部の掘跡は墓場となっています。 また、本堂や台地上にあって、平城の名残りがあります。

『現地案内を参照』

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