太宰府

太宰府市観世音寺

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九州自動車道「太宰府IC」から3号線を南へ、水城を越え112号線「関屋」から76号線を東へ走ります。

まもなく北側には太宰府跡(だざいふ)がありました。
   
  
すごく広い、博多から古代官道復元ラインでつながっていたんだね。 今日は春の嵐、目を開けて、前へ歩けないよ。

遠く見えるのは、古代山城かな。 古代の風景、天と地がどこまでもつながっている。

聞こえるのは、遊びにきている子供たち。 たぶん、古代から現在を楽しそうに走る声だったんだよね。
 
  
古代、西海道と呼ばれた九州一円を統轄していた太宰府は外交・貿易などの対外交渉の窓口として重要な任務を課せられていました。

その機構は中央政府に準じ、地方機関としては最大規模の行政組織を有していました。

発掘調査によると、7世紀後半に堀立柱建物が建てられ、8世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備されました。

この建物は藤原純友の乱によって焼き打ちされましたが、10世紀後半には立派に再建されています。

現在見ることのできる礎石は、この再建期のもので、発掘調査の成果をもとにして復元したものです。 これらの建物は、菅原道真が「都府の楼はわずかに瓦の色を看る」とうたっているように壮大なもので、当時としては中央の都の建物にも劣らぬものでした。

正殿は重層風につくられ、屋根は入母屋ないしは寄棟造りであったと思われます。

このように政庁を中心にして周囲は、数多くの役所が配置され、その規模は平城・平安の都に次ぐ「天下の一都会」だったのです。

『現地案内を参照』

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