明智城

可児市瀬田

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東海環状自動車道「可児御岳IC」から西へ、名鉄広見線「あけち」から南へ歩いて10分、長山(おさやま)には明智城がありました。
  
  
戦国時代、好きな人物、明智光秀と即答するよ。
信長を本能寺で討つ、彼の心が世も変えた。 歴史の面白さ、一人の心が現在につながっているんだよ。

  
「六親巻属幽魂塔」

本丸から見張り台へ歩く、途中にこの塔があるよ。 六親巻属は、明智城主一門を表しているんだ。

この塔は、石がわずかに頭を出している状態で発見された、理由は塔と建てたことが判ったら重き処罰を受けると考えられたんだ。

この地の住民が明智一門を敬っていた証拠なんだよ。
  
 
可児市は、戦国時代の悲運の武将「明智光秀」の生誕の地です。 康永元年(1345)に美濃源氏、土岐下野守頼兼が名字を明智と改めて、初代明智家棟梁となり、明智荘瀬田の当地に明智城を築城しました。

以来、およそ215年間、ここに山城を構えていましたが、弘治二年(1565)に当時の美濃国の支配者、斎藤道三とその子・義龍の争いに巻き込まれ、義龍に攻められて落城します。

最後の城主であった光秀は、城の脱出に成功して明智家を再興しましたが、ここへは戻らず、彼の死後も再びここに築城されることなく明治維新を迎えました。

城は自然の地形をうまく利用した典型的な中世の山城で、この山の中央主峰、標高175mの頂上に本丸を築き、ここを中心として、いくつかの別の峰に小城塞、見張り台、城郭施設等を配置させてあったと考えられます。

居館跡には「光秀産湯の井戸」と伝承されている井戸があり、当時使用されていた土器破片が出土しています。

また、出丸付近には落城の際の戦没者を葬った「七ツ塚」があります。 昭和四十八年には一族の供養塔「六親眷属幽魂塔」が発見されています。

『現地案内を参照』

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