世羅郡世羅町大字甲山 | |
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山陽自動車道、「尾道IC」から国道184号線を北へ走ります。 甲山町と世羅町の境近く、世羅町役場の南には標高509m(比高180m)の山頂に今高野山城(いまこうやさん)があります。 |
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甲山を中心として世羅郡の東半分は、鎌倉時代から紀州(和歌山県)高野山領の大田荘であった。 国道を走ると、山頂に天守が見える、簡単に登れると思ったけど、大変大変。 岡山県倉敷市の日幡城のページ、確かに備後甲山城主・上原氏が出てくるよ。 山内氏も出てくる、一豊と関係があるみたいだね。 |
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「今高野山総門」 弘仁十二年(821)、弘法大師が開き、長く中国地方の真言密教の大道場であった。 龍華寺を中心に十二院が建てられ、今では福智院、安楽院と龍華寺を残すのみである。 ここから上ればよかった、東のふるさと劇場がある所から上ったよ。 |
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とにかく歩いた、山をいくつも越えてぐるりと回る。 下から見えた天守は二の丸、その手前に本丸がある。 甲岩といわれる奇岩、とにかく大きい岩だよ。 お城の建物自体はどこにあったのかな。 |
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「甲山防空監視硝(かんししょう)」 やっと着きました、この上が天守だよ。 昭和16年から始まった太平洋戦争、空襲に備えて県内の要所に監視硝が造られた。 毎日8人が詰め、二時間交代で昼夜通して監視していた。 昭和20年、広島に原爆が投下された時、飛来機をいちはやく発見し通報、爆発のものすごい閃光を目撃してたんだ。 |
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この山を古城山といい、十六世紀の戦国時代に今高野山城があったところです。 ここから南百mの平坦な頂上部が本丸で、ここは三の丸跡です。 本丸を中心に十数段の郭が配置されていましたが、その施設については明きらかではありません。 室町時代、山内道通が築城したと云われています。 その後、上原氏(和智氏)が居城し、今高野山を厚く保護し、その復興につとめました。 『現地案内を参照』 |
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