安芸高田市吉田町郷野 | |
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中国自動車道、「三次IC」から国道54号線を南へ走ります。 吉田町の郡山城を過ぎ、6kmほど走ると「郷野小入口」、すぐ南の標高295m(比高80m)の山頂には桂城(かつら)があります。 毛利氏の重臣・桂氏のお城、元就の重臣は誰がいたのかな。 |
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中山城とも呼ばれている。 毛利元就の重臣・桂氏のお城だよ。 でも元就が毛利家の当主として、猿掛城から郡山城へ入る時、謀反の責任をとるんだ。 |
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国道54号に大きな案内がある、曲がると小学校、校舎がすごくいい。 そのまま反対側の山麓には桂氏の居館、広澄のお墓があったらしい、でも上り道が分からない。 もう一度戻ると国道の反対側に「星ケ城」の上り道がある。 ここは案内から細い道を歩いて桂城へ登ります。 |
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すぐに尾根に着く、上の写真の真ん中、へこんだ所だよ。 案内の図、右の高い方が本丸かな、行ってみる。 堀切を越え、最後の高台を一気に上る、すると一番上の写真。 主郭の後ろは土塁、細い竹が生えてるよ。 |
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真ん中へ戻り、左側へ進みます。 広い郭が2つ、その間に堀切がある、2つ目の郭の中央に尖った木が一本。 高いとこ、狭い道、とろろ、尖ったものが苦手。 真ん中に引き返すよ。 |
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可愛川の向こうの山、清水城があるはず、鈴尾城はもう少し左かな。 元就の十五人の宿老、福原氏と桂氏までは出てきた、あと十三人は誰。 秋の旅、少し北へ行くよ、どこに行こうかな。 |
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桂城跡は、標高295m、比高80mで中山城または三笠山城とも呼ばれていました。 十六世紀初頭の頃、坂氏から分家した広澄がこの城に入ったと云われています。 城郭は、西・中央・東の三群に分かれ、西郭群は背後を堀切で区切って北・南西方向に延びる尾根上に小郭を配したもので小規模な体裁をなしています。 中央郭群は独立丘陵の最高所に位置し、北東に延びる尾根上に堀切と郭を並べており、見張り所的なものと考えられています。 『現地案内を参照』 |
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