赤松円心館

赤穂郡上郡町赤松

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相生駅から西へ、千種川沿いの国道373号線を北上します。

左に苔縄城、右に白旗城を見てすぐ赤松の集落に入ると、赤松円心の館跡がありました。
  
  
赤松円心の話は、沢山のページに書いたよ。 実際に会ったこともないから、どんな人だろう。

同じ場所に立っても、分からない。 でも現在の人の心までも動かしている人だよ。
 
  
円心館跡は東西105m、南北56mの平らな台地上にありました。 山麓にはグランドのような場所、そこが館跡と案内はあるよ。

裏山には畑、ここも昔の面影を残しているのかな。
  
   
「五社八幡宮」

一枚づつ絵を見る、名前を見る。 源平から戦国時代の武将がずらりと並んでいる。

一度に集まると、どんな話題になるのかな、聞いてみたくなるよ。 
   
   
「宝林寺」

千種川を西へ渡ると宝林寺、「赤松三尊像」があるお寺です。 でも改修中、奥に石積みがあったよ。

ここも館跡と云われているから、館と関係あるのかな。
   
   
「白旗城」

お城は向こうの山だよ。 建武三年(1336)、足利尊氏が九州へ逃れている時、新田義貞軍六万を、ここで防いでいたんだよ。

6月の風景、夏はまだまだと思っていた頃だね。
   
   
「苔縄城」

少し南で橋を渡る、正面に見える山だよ。 「苔縄城 後編」、いつ行こうかな。

考えると登れない山、それが苔縄城。
   
   
円心が挙兵したのは、どこだったのかな。 はっきりと分からないから、面白い。

2005年、今ではすっかり夏になっているよね。 
あと一つ、真夏のお城はどこに行こうかな。
   

    
正中元年(1324)、後醍醐天皇は日野俊基、資基、土岐頼貞、多治見国長らと鎌倉幕府討幕の計画を立てました。

しかし、土岐頼員の密告により計画は失敗、日野資基は佐渡に配流されました。

元弘元年(1331)、後醍醐天皇は再び討幕を図るのですが、これも吉田定房の密告により日野俊基・円観・文観(もんかん)・忠円らは捕えられました。

追い詰められた天皇は御所を脱出し、笠置山で兵を挙げるのです。

後醍醐天皇の皇子・護良親王は吉野で、楠木正成も河内赤坂城で援護するのですが、幕府軍は笠置山・吉野・下赤坂城を落とし、天皇と千種忠顕は捕らえられて天皇は隠岐に流されました。

そこで護良親王に仕えていた赤松円心の三男・則祐が、護良親王からの挙兵令旨を持ち帰り、赤松一族が挙兵したのが苔縄城、その後足利尊氏らと六波羅探題を陥落させるのです。

『参考文献を参照』

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