太尾城

姫路市豊富町太尾

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姫路から国道312号を北へ、山陽自動車道を越えて「仁豊野交差点」から市川を渡り、県道373号線を東へ走ります。

播但連絡道路の側道を北へ2km、そして県道218号線を東へ入ると、500mほどで城山が見えます。

この標高133mの山頂には太尾城(ふとお)がありました。
   
    
後藤基信が居城し、尚基・純基・基次・浄基と続きました。

基次が後藤又兵衛だよ。 ここは南山田城の近くなんだね。
  
  
山に登るには神社の所から登ってね。

太尾にはキャンプ場があります。

二十歳の頃、キャンプカウンセラーとして汗を流しました。 夏は40泊ぐらい。 毎日毎日、沢山の子供達がキャンプ場に来ます。
     
    
テント張りが終わると、山に登ったり、歌ったり、踊ったり。 ハンゴウで子供達と作ったカレーを食べ、日が落ちるとファイヤーの火を灯しゲームをします。

次の日の11時頃に帰り、お昼のご飯を食べ終わると、次の子供達が来ます。

青春をすごした山が太尾城、当時は忙しすぎてお城だとは知らなかったね。 
   

    
「播磨鑑」に、城主は太尾兵庫頭興次、赤松の家臣で天正の頃、落城したとあります。

また「赤松家播備作城記」には、文明元年(1469)、後藤基信が居城し、五代後に落城と云われています。

標高132.5mの山頂に東西に長い平坦地があり城跡とみられます。 東に続く尾根には堀きり部分が二本あります。

頂上からの眺めは良く、周辺(敵と味方)の情勢を見極めるのに適しています。

すなわち、城が山城から岡城、平城へと変化する途中の岡城の段階にあり、この後城は御着城、姫路城が示すように平城となりました。

なお、太尾城は天正の頃、秀吉の播磨進出の時、ほろぼされたといわれています。

山麓の太尾祖霊社の境内に五輪塔や宝篋印塔の残欠を集めた所があり、太尾城主一族の墓所とされています。

『現地案内を参照』

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