五社城居館

神戸市北区有野町有野

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阪神高速北神戸線、「五社IC」を降りてから15号線を少し北へ走ります。

「五社北交差点」から東に入り、有野大橋を渡ると南側の高台には五社城居館(ごしゃ)があります。
    
    
この上には五社八幡神社がある、石段を138段登っていくよ。

神社から南の標高391mに五社城(別名:切畑城)があったんだね。 ここは五社城の居館跡なんだよ。
 
  
階段の途中、左横を見ると削平地、右側には昔の石が転がっている斜面があるよ。

この辺りの高速道路はいつも失敗、今回は姫路から山陽自動車で来た、「神戸北」から六甲北有料道路に入るまでは正解。

途中、「五社」で降りようとして阪神高速北神戸線の方へ、でも北からは降りられないよ。

でもいいよ、一つ正解したからね。
    
   
「確かにかすれているけど、多田源氏が摂津一円を領した頃には神社が祀られていたとある。

兵庫県川西市を本拠にした多田源氏、源義経軍に加わった多田行綱、それから12代後・清村の時に中川氏を名乗りました。

ここを攻めた中川清秀は清村の孫なのです、時代は違うけど歴史はつながってくるんだね。 
   
   
「五社八幡神社」

ここを守ったのは赤松円心の四男・氏範だったのかな、そう言えば、円心の白旗城の近くにも同じ名前の神社があったよ。

南に有馬の落葉山城、北には蒲公英城、そして道は三田へとつながっている。

高速道路は迷うけど、街のお城で道はつながっているんだよ。 
   

    
元弘三年(1332)、赤松円心は鎌倉幕府倒幕の令旨を受けて播磨の苔縄城で兵を挙げました。

そして神戸の摩耶山城に本拠を構え、ここ五社城には赤松一族を入れて守らせました。


天正年間(1573-92 )、三木城主・別所長治は有野城(西尾城)を居城とした家臣・小野三郎義晴にこの地を守らせました。

しかし、秀吉の播磨侵攻の時、中川清秀や荒木村重に攻められ、その時の兵火により居館や社屋は焼失、そして小野一族も敗れ討死するのです。

『参考文献を参照』

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