後屋城

兵庫県丹波市氷上町新郷

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舞鶴自動車道、「春日IC」から国道175号線を西へ走ります。

氷上町に入り176号線とつながる「錦橋交差点」の西300mで加古川(佐治川)を渡ると、白山の山麓には後屋城(ごや)があります。
    
    
山麓が「下の城」または「赤井館」と呼ばれ、白山の山頂には「上の城」「高城」がありました。

麓には白山神社、鳥居をくぐると土塁、そこが屋敷跡だったんだね。
 
  
「白山登山口」

白山神社の鳥居から北へ少し歩くと、標高547mの白山の登山口がある。 でも入山禁止になってるよ。

中にある土塁は高さ3m、長さが70m、石垣や井戸もあったらしい。

また近くの鷲住寺には赤井忠家の位牌が祀られているよ。
   
   
「稲荷社」

登山口の手前の道を北へ歩くと、社がありました。

丹波の赤井氏、あの黒井城を取り、但馬へも攻めた人物・赤井悪右衛門直正も来ていたんだよね。

社は道から10mぐらい、少し入れる。
   

    
清和源氏頼季を祖に持つ井上大炊介家光が信濃国から丹波芦田荘に移り住み、芦田氏を名乗りました。

建保三年(1215)、家光から五代後・為家が赤井氏を名乗り、築いたのが後屋城です。

のち長男・家義が後屋城を継いで、弟・重家が荻野氏を名乗り築いたのが朝日城です。

大永六年(1526)、丹波守護・細川高国には八上城主・波多野稙通と兄弟の柳本賢治や香西元盛が家臣として従っていました。

しかし夫人同士の口論から細川尹賢が香西元盛を殺害すると、波多野稙通や柳本賢治は高国と対立する為に細川晴元に付き、京都の神尾山城に籠もるのです。

高国が神尾山城を討つ時、赤井五郎忠家も背後から攻めたと云われ、のち赤井氏は、時家・家清・忠家と続いています。

天文二十三年(1554)、一族の朝日城主・赤井直正が、黒井城主の荻野秋清を倒して黒井城に入り勢力を拡大すると、後屋城主・忠家も若かった為、赤井直正に吸収されました。

天正七年(1579)、明智光秀の丹波攻めで、八上城、黒井城とともに後屋城も落城するのです。

『参考文献を参照』

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