兵庫県豊岡市上鉢山 | |
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播但連絡道、「和田山IC」で降りて国道312号線を北上、豊岡市に入ると鶴岡橋で円山川を渡ります。 国道482号線を東へ、出石への途中248号線を北へ曲がり、出石川を渡り2kmほど走ると標高50mの鉢山城(はちやま)があります。 |
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二つの山頂を持った鉢山城、上鉢山城と呼ばれている。 左奥には南朝方の中心・三開城がある。 三開城との間、下鉢山城で南朝方は陣を構えた。 上鉢山城と下鉢山城が七ヶ月間、にらみ合っていたんだね。 |
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二つの山頂の右側(東側)、神社がある、お城の跡は左側の山に多く、二つの間には堀切が残っているらしい。 地図を見ると、南東には此隅山城、出石城や有子山城が近いんね。 安良城と鉢山城、写真が混って、どちらか分からなくなっている。 奥が深いよ但馬の南北朝時代、今度は下調べしてくるからね。 |
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観応元年(1350)、北朝内で尊氏と弟・直義が対立すると、直義は南朝方に付き、山名時氏も直義の子・直冬に付いて南朝方になりました。 文和三年(1354)、足利義詮が後光厳天皇を奉じて上洛すると、山名時氏・師義父子は足利直冬を奉じて京都へ進みます。 これに対して、南朝方の後村上天皇は河内金剛山、河内・楠木正儀は京都山崎の男山(石清水八幡宮)に陣を置きました。 この時、尊氏は比叡山、足利義詮・佐々木道誉・赤松則祐らは神内に陣を置き、東寺合戦で直冬軍を破ると、山名時氏は伯耆へと撤退するのです。 延文元年(1356)、足利直冬や山名時氏の滅亡を図るために、北朝方は今川頼貞に属する伊達真信を中心に、但馬の南朝方討伐を開始しています。 まずは伯耆・因幡との連絡路を絶つために温泉城(美方郡新温泉町)を攻め、次に宿南城(養父市八鹿町)、八代城・木崎性法寺城(豊岡市)、水生城(豊岡市日高町)などを落としました。 延文三年(1358)、ついに南朝方の中心・三開城へと迫り、伊達朝綱が陣を構えたのが鉢山城なのです。 『参考文献を参照』 |
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