広峰山城

兵庫県姫路市広峰山

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姫路競馬場の「白国交差点」をそのまま北へ登ります。

山頂付近まで車で登ると、あと少しで広峰神社、標高310mの山頂には広峰山城(ひろみねさん)があります。

2005年2月、春も近いのにまだ寒い。 ここは姫路の夜景スポット、でも青春の頃に見たかったよね。
   
   
奈良時代の天平五年(733)、吉備真備が遣隋使として中国に渡り、帰国後に創建しました。

ここは広峰氏の城跡、黒田官兵衛の祖父・重隆が妻子と登って、目薬の販売を始めた話も伝わっているよ。
  
  
「広峰山」

今回は右側の増位山にある有明山城からぐるっと回って裏側から神社まできたよ。

でも白国の集落から車で登れる。 山麓の白国神社は景行天皇の曽孫・阿曽武命の室が難産だったために建てられた神社。

安産の神として歴代朝廷をはじめ多くの人から崇敬されてるよ。
    
   
「隋神門」

元禄時代の建物、この横には室町時代初期の宝篋印塔がある。

神社の背後には、俗称「吉備ツ様」と呼ばれる所、そこに埋まっていたらしいよ。

神社の配置図に描かれている吉備神社の所だね、その辺りに城跡の平削地があるらしい。 
   
   
 貞観11年(869)、京都祇園の八坂神社はここから遷座されたと云われています。

本殿の裏には「神秘なる九つの穴」がある、その穴には自分の守り神が深く祀られているらしい。 九つの穴か、見たかったな。
   
   
「井上家屋敷跡」

昔、神社の周囲には沢山の屋敷があった、ここもその一つなんだね。

裏面の由来には、「元禄時代以前より代々広峰神社に仕え、思い出深い住まいであった屋敷を明るい憩いの平地とします」 とあるよ。
  
   
いつ頃の塀なのかな、25年前に来た時も同じ雰囲気だったよ。

境内の休憩所、自動販売機もある。 今日は誰もいない部屋で暖かいコーヒー、ガラス窓を開けてみる。

小さな雪が冷たい風と一緒に入る、見える街のどこかに住んでいる。

遠くから見ると懐かしい故郷のように思える。 
   
  
神社の後ろに回ると、すごく背の高い石垣と岩盤、奥には削平地がある。
 
この辺りにも武家屋敷があったのかな。

二十歳の頃、友達の知人がこの辺りの竹林を持っていた、キャンプで子供達が竹細工をする為の竹を沢山いただいたよ。
   
   
真夏、汗まみれになって竹を担いで運んだよ。

姫路の夜景、見たいのは懐かしい故郷のような夜景ではない。

風邪ひいて熱にうなされながら見た夢の中、そこには汗だくの顔。

青春時代の情熱、そんな時代の夜景が見てみたい。
    

     
城主は広峰又太郎昌俊です。

建武三年(1336)、後醍醐天皇に叛旗を翻した足利尊氏は鎌倉から京都へ入るのですが、北畠顕家や楠木正成の軍勢に京を追われて九州へ落ちました。

九州で勢力を回復した尊氏は京を目指して山陽道を東上、対する天皇方は神戸で新田義貞と楠木正成が待ち構えました。

この時、広峰昌俊は足利方の高師泰に付いて、楠木弥四郎を打ち破っています。 (湊川合戦)

応仁の乱(1467)の後、赤松政則が置塩城を築いた時、赤松氏に属して広峰神社は赤松家の祈祷所にもなっています。

天文・永禄(1532-72)の頃、広峰新四郎は赤松氏が衰退してくると御着城主・小寺氏と養子縁組を結びました。

『参考文献を参照』

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