兵庫県朝来市生野町口銀谷 | |
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国道312号線「生野北口交差点」から東側の429号線へ曲がると、すぐ生野の街に入ります。 2005年11月、銀杏通りは播磨と但馬の国境。 北には生野古城山、そして麓には生野陣屋(いくの)がありました。 |
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久しぶりに生野に来たよ、銀山で有名だよね。 前は2003年の春先、北にある「びわの丸健康公園」から生野城に登ったよ。 生野の街を歩く、初めて来た街のよう、秋だからね。 |
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街の南を歩くのは「宮町通り」、市川の向こうは神社かな。 河川に沿ってトロッコ道跡があるらしい。 鉱石搬送用の線路、川岸の壁アーチ、来て見てね。 |
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ここは鉱山住宅、帰りは北側、歩くのは「寺町通り」。 お寺が続くと、北側に「びわの丸公園」。 南に歩けば「北国通り」、碑のある通りに戻るよ。 2年前の「生野書院」は休館だった。 2回目の街路は「銀杏通り」、つぎ来る季節は「白銀通り」かな。 |
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天文十一年(1542)、山名祐豊は、生野銀山経営の拠点として生野城を築城しました。 三層の天守閣、隅櫓、外堀をそなえた城で、侍屋敷、町家、寺社も整い繁盛したと記録に残されています。 その後、銀山の経営は太田垣、織田、豊臣と変わり、関ヶ原の戦いを経て徳川氏に帰属し、この城の本陣を代官所としました。 寛永六年(1629)には天守及び隅櫓を取り壊しましたが、270年にわたって銀山経営の中心でした。 明治維新により銀山は政府直轄となり、明治二年(1869)生野県設置とともに、代官所を県庁校舎とします。 明治四年(1871)、生野県が豐岡県に統合されると同時に建物は除去され、城壁と外堀のみが残りましたが、大正末期には全部が取り壊されたのです。 『現地案内を参照』 |
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