兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町 | |
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第2神明、「須磨IC」から南へ下りると国道2号線、少し西へ走ると「須磨浦公園」、ここには「源平史跡 戦の浜」の碑がありました。 2006年9月、毎日通う道。 そんな道を探索してみたよ。 |
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須磨浦公園、海づり公園があるところだね。 一ノ谷は少し東かな、海岸沿いの国道は毎日渋滞。 今日はここから東に歩く、沢山見れるかな。 |
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「村上帝社」 公園から国道を東へ、JR須磨駅を過ぎて100mぐらい、道の北側に神社があるよ。 平安時代、藤原師長(もろなが)が南宋へ渡って音楽を習おうと須磨まで来ました。 すると村上天皇が神霊となってあらわれ、琵琶の妙手を授かったと云われている。 師長は琵琶の名手、父は保元の乱時代の頼長、つまり平清盛の頃の話だね。 |
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「須磨の関跡」 村上帝社から北へ少し、山陽電車を越えたところ、関守稲荷神社だよ。 須磨の関守が住んでいたんだ。 「淡路島かよう千鳥の鳴く声に いく夜寝ざめぬ すまの関守」 平安末期の歌人・源兼昌が詠んだ歌、小倉百人一首にあるんだ。 |
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「現光寺」 国道を東へ、65号線を北へJR高架をくぐると「源氏寺」の大きな石碑。 藤原興範が伊勢参宮の途中、須磨の浦で老人から光源氏の話を聞いているうち、老人は源氏の化身とほのめかして姿を消してしまう。 この老人が光源氏だったのかな。 紫式部の「源氏物語」、光源氏は誰のことかな。 |
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「首洗池」 北へ歩くと須磨寺、仁王門をくぐると「源平の庭」、敦盛と熊谷直実の一騎討ちの場面。 清盛の弟・経盛の子が敦盛、この時は十六歳。 熊谷直実は若い敦盛を討ちとった時、殺生の虚しさに出家、法然の弟子となりました。 後ろに義経が座った木があるのかな。 |
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「敦盛首塚」 須磨寺の三重塔の隣だよ。 ここは首塚、須磨浦公園の西側にあるのが胴塚らしい。 謡曲「敦盛」に一ノ谷の場面がある、信長が「人間五十年・・」と舞ったのは幸若「敦盛」らしい。 さあ須磨寺から東へ歩いてみるよ、どんな史跡に会えるかな。 |
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「安徳帝内裏跡伝説地」 一ノ谷町の山を上るとあるよ。 一ノ谷城はここなのかな。 きっとこの辺り一帯がお城だったんだよね。 |
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「一の谷」は、鉄拐山と高倉山との間から流れ出た渓流にそう地域で、この公園の東の境界にあります。 寿永三年(1184)2月7日の源平の戦いでは、平氏の陣があったといわれ、この谷を200mあまりさかのぼると二つに分かれます。 東の一の谷本流に対して、西の谷を赤旗の谷と呼び、平家の赤旗で満ちていた谷だと伝えられています。 一の谷から西一帯の海岸は、「戦の濱」といわれ、毎年2月7日の夜明けには松風の波音のなかに軍馬の声が聞こえたとも云えられています。 ここが源平の戦のなかでも特筆される激戦の地であったことが偲ばれるのです。 『現地案内を参照』 |
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