岩尾城

兵庫県丹波市山南町和田

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社町から175号線を北上し、氷上群山南町に入ってすぐの井原交差点を西へ2kmほど行くと、薬草薬樹公園があります。

その北側の標高358m蛇山の山頂には岩尾城(いわお)があります。
    
    
和田氏が築いた中世戦国時代の山城(土塁使用)と、佐野氏によって改修された近世初頭の新しい城郭様式(石垣使用)とが混在した城郭で、日本城郭史上非常に貴重とされています。
  
  
「西の丸・南面の石垣」

西の丸は修築によって、古城本丸の西側に張り出した曲輪で、高さ4mの石垣が三方をがっちりと固めています。

丹波の山城の石垣遺構の中でも最もすぐれたものと言われています。
   
   
「西の丸・東面の石垣」  山南町並が一望できます。

こんな高い所に石垣があるのですよ。 登るだけでも大変なのに、石持って登っていた人もいたのですね。
   
   
登山道の途中には、「堀切り」と「堀井戸」があります。

深さ7mの井戸は、山頂近くの標高300mにもかかわらず中には水が溜まっているのです。
   
   
「分れ道案内」

こわい、なぜか怖い。 ここ20年は聞いたことがない言葉「人間地獄」
   
   
 少し東の山麓には、下屋敷跡がある「親縁寺」と「鶴牧藩代官所跡」があります。
   
小学校正門にある案内図 
すごく分かりやすくてうれしい。(ここにも人間地獄が)
 
  

  
岩尾城は、和田日向守齊頼(ひとより)が永正十三年(1516)に築城したと云えられています。

その子、作右衛門師季が跡を継ぎましたが、明智光秀の丹波攻略によって天正七年(1579)に落城しました。

その後、天正十四年(1586)になって近江から佐野下総守栄有が入部して、城郭を改修します。

しかし、秀吉の命によって廃城となり、慶応元年(1596)に破却されました。

城跡は、蛇山の山頂部から(1358m)を中心に広がり、主郭部は天守台を持ち石垣で固められています。

北側の曲輪は、土塁と堀切によって中世的な要素を持ち、南側の石垣が残る近代的な遺構と併存して機能していたことが特徴的です。

『現地案内を参照』

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