慈眼寺山城

兵庫県三木市久留美

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国道175線、「高木交差点」で東の20号線に入り、三木城の北側を通り、「本町交差点」から20号線を北へ走ります。

久留美から510号線を小野市方面へ向かい「山陽自動車道」の北側の側道を西に入ります。

別所氏と秀吉の「三木合戦」の地、この慈眼寺山城(じげんじ)には赤松氏の系統である有馬氏が陣を構えていたのです。
   
   
山陽自動車道の側道は、登り坂でけっこう高い位置まで登ります。

三木市が一望できるこの砦は、真下の山陽自動車道を見ると、けっこう足がジンジンする場所だよ。

   
山は平らなところが広がっているけど、木の中に入ると目印になる物がないから迷いそうだよ。

ここでは、風景案内と三木の街を照らし合わせながら三木合戦の様子と、行き交う車の流れを見ているのがよさそうだよ。
   
   
赤松則祐の子・義祐が有馬郡の守護となって有馬氏と名乗りました。

有馬重則の時、三木市志染町の満田城に入り、そこで細川澄元の娘との間に有馬則頼が生まれています。

その頃、三木市の東にある神戸市北区では淡河氏が淡河城や萩原城を守っていました。

しかし、天文二十三年(1554)、有馬重則が三好長慶とともに三木城を攻めた時に、萩原城主・淡河元範を敗走させています。

天正六年(1578)、羽柴秀吉の三木城攻めが始まった時、淡河城を取り戻した淡河定範は三木城を守る城として食料補給を行っていました。

秀吉は平井山本陣に、この慈眼寺山には有馬則頼が陣を構えました。

淡河城では江見又四郎の進言により、城に火をつけ城主・淡河元範をはじめ全ての兵達は三木城へと入り、別所氏とともに籠城するのです。

のち三木城落城、恩賞として有馬則頼が淡河城へ入りました。

『参考文献を参照』

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