兵庫県宍栗市山崎町五十波 | |
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国道29号線を鳥取方面へ、中国自動車道の山崎ICを越え、揖保川沿いを4kmほど北へ走ると五十波の集落、西へ入ると「構の城(かまえのしろ)」があります。 2005年5月、宍粟市は久しぶり。 いつまでも元気に探索できるといいね。 |
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宇野氏の山城は長水城、麓の「構の城」と「清野構」が普段の居館だね。 でも秀吉軍に攻められ、長水城と一緒に落城するんだよ。 |
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「いかば」の集落、田んぼの向こうが「構の城」、そこではグランドボールで汗を流す姿がありました。 この山は標高400mぐらいかな、まだ200mぐらい高い長水城が西にある。 びっくりする高さだね。 |
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ここ「構の城」の西、標高585mの山頂には、赤松円心の子・則裕が築き、孫・広瀬師頼に守らせた長水城があります。 嘉吉元年(1441)、嘉吉の変で赤松一族は滅亡し、のち応仁の乱で政則が復興した時、長水城には宇野氏が入り加順・村頼・政頼・祐清と続きます。(別説: 満利・裕秀・裕利・村頼・政頼・裕清) 天正八年(1580)、秀吉は三木城を落とし、英賀城を囲みながら、兵の半分はこの山崎町へ攻め込み、揖保川東岸の標高300mの愛宕山に陣を置きました。 宇野政頼・裕清の父子は、この構えで籠もり迎え打つのですが、三日間で攻め落とされ長水城へ退散するのです。 この戦いで、宇野氏と同族である置塩城四代目城主・赤松義祐の次男である教房は、秀吉側に付いて宇野氏を討っているのです。 『参考文献を参照』 |
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