金鑵城

兵庫県小野市昭和町

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国道175号線「旭丘中交差点」を西に入り、新大河橋を超えて、県道市場滝野線を南に曲がると、すぐの所に「夢の森公園」の標識があります。 この公園が金鑵城跡(かなつるべ)なのです。

駐車スペースも無いところに、登山口らしきものがあったので、何も疑わず「山城の登山口発見」と思い歩き始めました。
  
   
北東隅部からのびる尾根の先端部には、見張り用の櫓が設けられていました。 これは櫓台跡に再現された物見櫓です。

ここから小野市が一望できます。 天気が良いと明石大橋や淡路島も見えるそうです。

   
城の遺構とともに、弥生時代中期後半頃の竪穴式住居跡がありました。

加古川流域でも、高い所に住居を持つ集落が存在していたのです。
   
  
案内板には「復元イメージ図」がありました。

台地に「主郭」と「西の郭」があり、その間には約20m、深さ9mの堀切があります。 通路として木橋が架けられていました。 現在も新しい橋が架けられて、その下の堀切はかなりなものです。

主郭は四方を幅3〜9mの土塁で囲まれ、三棟の建物の礎石があったとされています。

お茶会はどこでしてたのかな。 
  
  
   
金鑵城は、青野ケ原台地上の遠望がきく、要害の地を選んで築かれた山城です。

ここからは、河合城、堀井城、小堀城など室町時代から戦国時代にかけて市内に築かれた中世城郭を見渡すことができます。

城主は、播磨を治めていた赤松氏の有力な家臣・中村氏とされ、後に三木城の別所氏の持城になっています。

台地先端部に「主郭」と「西の郭」があり、その間には幅約20m、深さ9mの堀切が掘られ、木橋がゆいいつの通路となっていました。

主郭は、東西50m、南北80mの規模で、周囲には土塁と呼ばれる土の壁がめぐらされ、北西部に土塁が途切れるところがあり、城内への入口、虎口と考えられています。

そこから城内に入ると礎石建物、倉庫施設、煮炊き施設、集石遺構などがありました。 また北東隅部からのびる尾根の先端部には、見張りのための櫓が設けられています。

城内からは、甕、壺、擂鉢などの陶器、茶碗などの磁器、茶臼などの石製品、土錘などの漁労具、刀、鞘(さや)、笄(こうがい)などの武具類、瓦、釘、壁などの建築資材、硯、水滴など文具類や銅銭など多様な遺物が出土し、当城が長期間にわたり武士達の生活と防御の場となっていたことがわかります。

『現地案内を参照』

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