神吉城

兵庫県加古川市東神吉町神吉

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JR宝殿駅の東側県道43号線を北上し、加古川バイパスの加古川西ランプを横切ってから約1kmの東神吉町あたりが神吉城跡(かんき)です。

集落の中の「常楽寺」が中の丸で、「真宗寺」が西の丸だったといわれています。
   
   
ここは中の丸跡があった「常楽寺」です。

二千人が籠城したといわれています。
 
  
「常楽寺」

境内の奥にはある神吉氏の廟所。「神吉民部太輔頼定墓」と刻まれています。落城してから200年後に建立されています。

この常楽寺の西には真宗寺があり、「裏切り伝承」の舞台となったところです。
    

    
羽柴秀吉によって播磨の多くの城が落とされました。そのうちの一つがこの神吉城です。

神吉城は赤松一族の神吉氏が築きました。 神吉氏は白旗城主・赤松円心の孫で摂津守護であった赤松光範の長子・範次から出ています。

範次は多くの戦いで功績をあげ、元盛と号し、播州明石郡の神出城主になりました。

この頃に神吉の庄を領して神吉城を築き、範次の子・元頼が神吉城主となり神吉氏と名乗りました。

明徳二年(1391)、山名氏清の明徳の乱では幕府方で功績を残し、その後は神吉光貞、経久、久頼、頼資、頼氏、頼定と続いています。(他説あり)。

秀吉の播磨攻めの時、三木城の別所氏が秀吉に叛いたため、別所方の神吉氏も反旗を翻しました。

周辺の野口城、志方城、高砂城とともに守りを固め、神吉頼定は三木の大村坂で秀吉勢を攻め立て、大勝利を収めました。

しかし、秀吉は周囲から落とす作戦に切り替え、まず野口城が落城しました。

そして神吉合戦が始まったのです。

籠城の兵は約二千人、対する秀吉勢は織田信忠、明智光秀、荒木村重ら約三万人で攻めました。
もの凄い攻防戦でありましたが、秀吉勢は神吉藤太夫を謀略で味方に引き入れ、藤太夫は腹心の佐野伝右衛門に命じて、頼定を暗殺し神吉城は落城しました。

しかしこれはあくまでも物語とされています。

『参考文献を参照』

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