兵庫県姫路市下野手 | |
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姫路市街から国2号線を西へ、JR姫新線播磨高岡駅を過ぎて、下手野東交差点から北へ曲がります。 姫新線の線路手前を西へ、100mほどで北へ入り、線路を越えると瓦山構居(かわらけやま)がありました。 |
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姫新線の細い道を渡ると駐車できる場所があり、上ると船越神社があります。 山頂には青山合戦陣地の跡とあるよ。 そういえばこの山、播磨風土記の14の丘の一つかな。 梳匣(くしげ)が落ちたところは船越山、でも秩父山公園もあるし、不思議やね。 |
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NHK大河ドラマの軍師官兵衛でも、この合戦は最初の頃に出てきたね。 赤松氏の家臣・浦上氏が御着城主・小寺氏と手を結ぶと、赤松政秀は三木城主・別所氏と手を結んで、小寺氏と争いました。 |
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この青山・土器山の戦いで、小寺氏の家臣・官兵衛が勝利すると、赤松政秀は浦上宗景の手の物に毒殺されたと云われています。 姫路から龍野の方を見ているよ。 あの山の向こうから赤松勢が攻めてきたんだね。 |
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永禄12年(1569)、黒田官兵衛孝高は播磨姫路城を攻略しようとする龍野藩主・赤松下野守政秀を迎え撃つために、ここ土器山(かわらけやま)に布陣します。 官兵衛は24歳、正室幸圓(こうえん)は17歳のときのことでした。 龍野城を出た赤松軍勢は、龍の街道(古代山陽道)一路に、青山桜峠にさしかかると、東に望む姫路城を手中に治めんと意気を挙げ菅生川を渡りました。 官兵衛は元来御着城主・小寺政職の家臣にあらずといえども、旗本に属しこの職を勤めんと、官兵衛の父職隆の立場や義理恩義をわきまえ、赤松政秀をむかえ打ちました。 官兵衛の胸中では、何より姫路城中で生まれ育った郷愁の念が深く刻まれ、それ故に何が何でも姫路城は指一本も他人にふれさせたくなかったのです。 ここ土器山東方一里たらずに姫路城を控えての防戦、敵方より味方の不意をうかがい襲い来たり、急に囲み込むという戦法が功じて勝利したのです。 姫路の城をこよなく愛した官兵衛の功績を讃美して史蹟としました。 『現地案内を参照』 |
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