兵庫県三木市口吉川町西中 | |
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山陽自動車道、「三木東IC」から85号線を北へ走り、「豊地交差点」から20号線を北へ向かいます。 「藤原惺窩生誕地」を過ぎ西中へ、東側に流れる美嚢川のほとりには衣笠城(きぬがさ)があります。 |
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「大将軍大神」 城主を祀っている神社です。 もう少し東には衣笠神社もあります。 衣笠城は美嚢川が湾曲する台地にあって、幅10mの堀切、土塁や井戸跡があると云われています。 でも見ることはできなかったよ。 |
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3回ぐらい来たと思うけど正確には分からなかったよ。 1回目は山の東(向こう側)の衣笠神社のあたり、2回目は神社から奥の山、たぶん写真右の一番高い所かな。 そして三回目は大将軍大神だよ、堀切とか井戸はこの風景の中にある。 何度も振り返りながらどこかなと思った、それとも振り返えさせてくれる風景がお城だったのかな。 |
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赤松氏の一族である衣笠豊後守経興が最初の城主と伝わっています。 衣笠氏は赤松円心の弟・敦光から出た別所氏の一族で、飾磨郡夢前町の立舟野城(賀野城)主だった祐定の子・祐盛が祖とされています。 嘉吉元年(1441)、赤松満祐が起こした嘉吉の乱で赤松氏は滅亡、衣笠経興は山名氏によって討死するのです。 この時、衣笠氏の一族が逃れたのが神戸市西区の端谷城と伝われています。 経興の兄・憲泰の子である知員は赤松一族と共に播磨から山名氏を追い出して、衣笠城に戻ってきました。 のち、筑前守、親好(備前守)、親重と続くのですが親信の時に秀吉の三木攻めが始まります。 衣笠城は三木城の支城として守るのですが、秀吉軍の夜襲を受けて落城するのです。 『参考文献を参照』 |
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