兵庫県高砂市荒井町小松原持 | |
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明姫幹線(国道250号線)の加古川手前「中島交差点」を南へ、新幹線高架下を東へ曲がり、高砂北条線(43号線)を南に入ると「三社大神社」があります。 この神社が小松原城(こまつばら)です。 |
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播磨国に流れる加古川。 その下流の三角州に位置し、遠く「播磨風土記」の頃「日本武尊(ヤマトタケル)」の母がお隠れになった「南毘都麻(なびつま)の島」の地といわれ、そして戦国時代には小松原氏の本拠でした。 10月10日、11日は、秋の祭りが行われます。 後ろに見えているのが大福寺です。 |
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「仁輪加太鼓(にわか)の秋祭り」 舞子の小学生、太鼓を打つ中学生、太鼓が乗った屋台を男達が担いで、寸劇を展開していきます。 寸劇のお題は毎年変わります。 14年「鳥羽伏見の戦い」 13年「巴(ともえ)御前の駒止め」 12年「宮本武蔵 巌流島の決闘」 今年のお題は何だったのかな。 お祭りを見に行ったのだけど、時間が違うみたいです。 しかし皆どこへ。 |
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「三社大神社」 「八幡さん」(品陀和気命 ほんだわけのみこと) 「日本書紀」では第15代・応神天皇にあたられます。 「お伊勢さん」(天照皇大神 あまてらすおほひかみ) 日本神話では太陽の女神様とされています。 「春日さん」(天児屋根命 あめのこやねのみこと) 天岩戸伝説に出てくる神様で、天照皇大神を呼び出す時に祝詞を読み上げたとされています。 今まで何気なしに見ていた神社も、ちょっとした知識で違った見方ができるね。 |
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「大福寺の多重塔」 七世紀の後半、石造りの層塔が流行しました。 この塔は小松原忠盛を祀ったものといわれています。 昭和の初め、三社神社の周辺の水路から出土し、移されたものです。 7層目が欠損しているので、少し傾いています。 |
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「日岡神社」 加古川市にあります。 印南別嬢がヤマトタケルを生む時、ひどく難産でお付の人たちは日岡の神に誓って、飲み食いをつつしみ家にこもって誕生の無事を願いました。 日岡神社は「安産の神」で、今は多くの人が訪れているのです。 |
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小松原城から少し東に歩くと加古川に出ます。 この先は海へとつながり、工場もいっぱいあります。 新幹線が走る現在、「風土記の時代」は遠い世界に思えるけど、加古川は当時も今も流れているのです。 「播磨風土記」は壮大でロマンに満ち溢れています。 また一つ楽しみが増えました。 |
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鎌倉時代中期、赤松盛忠は弘長元年(1261)六月、北条重時に従い武功によって播州印南郡小松原の地を与えられ、これより姓を小松原盛忠と改め築城しました。 中世の城は環濠城郭集落で、今日なお外には環濠の跡、うちにはT字路、要(かなめ)に寺社の配置を見ることができます。 赤松家は六十二代村上天皇の第七皇子具平親王を祖とする播磨国の名門で、小松原城歴代の城主は、次の通りである。 初代・小松原盛忠、二代・義景、三代・景満、四代・永春、五代・春武、六代・武香 二百余年にわたり赤松一門は、加古・印南両郡内各地に主長として君臨しています。 初代盛忠公の墓碑多重塔及び一族の五輪塔は、大福寺、どろま地蔵堂に多数現存しています。 『現地案内を参照』。 |
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