光明寺城

兵庫県加東市滝野町光明寺

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社町から175号線を北上し、滝野町の「闘龍灘東交差点」を西へ、「闘龍橋」を渡りJR加古川線・滝野駅の西側の参道をほぼ頂上まで車で登ります。

標高230m(比高150m)五峰山の山頂には、「太平記」そして「南北朝」での合戦が行われた光明寺城(こうみょうじ)があります。
  
   
かなり上まで車で来れるから、楽だよ。 でも下からハイキングするのも楽しいと思うよ。
 
  
「仁王門」

元禄六年(1693)に再建された建物の一部を使用して復元されたものです。 光明寺は推古天皇の頃、インドからの法道仙人が開基されました。

現在は4カ院ですが、文明の頃は24の院があって、「播磨高野」ともいわれていました。

駐車場から、「多聞院」「遍照院」「大慈院」「花蔵院」と展望台、そして「山門」へと続きます。
    
    
「光明寺合戦 本陣跡」

山門を入ると本堂があり、その裏側に入ると足利直義方の石塔頼房が籠もった時の「本陣跡」があります。

竹で囲まれた所に5つのイスが並べられていました。 たぶん記念撮影ができるようにしているんだよね。

本堂の反対側に回ると「井戸」があります。 
   
   
「閼伽井の水(あかいのみず)」

開基の時、「閼伽」と呼ばれる神聖な水を諸仏に供するために堀った井戸です。

足利直義方の愛曽伊勢守に仕える小姓が、3.5mほど飛び上がって、この城を守るため三本杉の上にとどまりました。

「高師直・師泰らは七日内に滅びるであろう。 ああ熱いので炎を冷やそう」と叫んで井戸に飛び込みました。 すると、この井戸は湯のように沸いたそうです。

「閼伽(あか)」、読めないよね。 はずかしながら「五峰山」も読めないよ、理系やし。 
   
  
滝野町・社町そして明石の方向だけど、少し雲っているよ。

展望台ではカワラケ投げができるよ。 カワラケとは素焼きのさかずきで、神酒を呑むと二度と使わない風習なんだって。

学校の旅行で四国の屋島で投げた事があるけど、この事だったんだよね、知らなかった。 
   
   
「闘龍灘」

長い年月近くに住みながら、闘龍灘を初めて見ました。 加古川の少し上流に、こんなすごい岩だらけの所があったので感動です。

岩は7000万年前の白亜紀に活動した火山から噴出たマグマらしいよ。 いろんな合戦に参加した人たちも、この岩にはびっくりしたやろうね。
   

    
貞和四年(1348)の吉野焼討ちで、南朝を制圧した北朝方では、足利尊氏・直義兄弟の争いが表面化した。 いわゆる観応の擾乱です。

中国筋平定のため書写山に依った尊氏を討つべく、石塔頼房は五千余騎で光明寺に陣を構え、八幡(京都府)の直義に援軍を求めました。

それを知った尊氏は、援軍の来る前に打ち破ろうと一万騎を率い光明寺を囲みます。

観応二年(1351)二月四日のことでした。

尊氏は引尾山、高師直は鳴尾山、赤松則裕は八幡山に陣をしき、仁王堂や東坂で激戦が展開されたが、いずれも寄手が敗れた。

両軍の対峙は十日におよんだが、城方の後詰がせまったので寄手は摂津まで軍をひいたのです。

のち尊氏は直義と和睦し帰京したが、高師直・師泰兄弟は摂津の鷲林寺で処刑されました。

『現地案内を参照』

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