椋橋城

兵庫県尼崎市戸ノ内町・大阪府豊中市庄本町

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名神高速道路「豊中IC」から西の152号線を南へ、寸賀尻橋交差点を越え、阪急神戸線を越えてすぐ西へ曲がります。

100mほどで椋橋総社があり、さらに西の旧猪名川を椋橋で西へ渡ると、150mほど北には治田寺がありました。
   
    
椋橋城は猪名川を挟んで東西に分かれていました。

東は大阪府側の椋橋総社、西は兵庫県の治田寺あたりとする説があります。

椋橋神社は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が高天原から鯉に乗り、当荘に御降臨なされたとも云われています。

また承久の変(1221)の発端の地でもあるらしい、うれしいです。
 
  
西側の治田寺です。

天平年間(729-749)、聖武天皇の勅許を得た行基が、当地の霊木を自ら刻み、本尊の薬師如来を造仏し「治田」と号されたと云われています。

平安時代には、摂関家の荘園(椋橋荘)ができ、このお寺は荘園の中心寺院となりました。
     

    
応仁2年(1468)、応仁の乱で西軍の山名宗全方の大内政弘が、東軍細川勝元を椋橋城に攻めています。

文明2年(1470)、大内政弘は再び椋橋城を攻めましたが、主君を細川勝元の子・政元とする薬師寺与一(元一)の部下である夜久主計允が防戦したとあります。

細川氏が出てくると、複雑になるんだよね。

天文5年(1536)、摂津中島の一揆衆と富田中務らが、三好伊賀守(長直)が守る椋橋城を攻め、伊賀守を信貴城へ敗走させています。

『参考文献を参照』

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