兵庫県姫路市夢前町宮置 | |
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書写山の東を流れる夢前川を北へ走ります。 宮置の交差点で80号線を東へ曲がると置塩城、西には標高320mの山頂に鞍掛山城(くらかけやま)があります。 2005年4月、春は夢前から。 ここも置塩城の諸城の一つ、未来の夢は見えない方がいいのかな。 |
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置塩城の出城、ここは赤松正満が築き、別名は中村城と云われています。 その名前、由来が少し分かったような気がするよ。 |
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東(右)側には夢前川と置塩城が見える、写真の右に少し見えてる山だよ。 山頂付近は馬の背のように窪んでいるから鞍掛というらしい。 低い方の右裾まで歩くね、そこには道路沿いに「鞍掛城跡」の碑があるよ。 |
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碑から民家を通り抜けると、登山口だよ。 少し草が生えてるけど、道ははっきりしている。 少し登ると2箇所の平削地、気になる所だね。 |
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まもなく小さな祠を祀ってる、少しづつ道が草に覆われるよ。 けっこう山麓に近い所だと思ったけど、石積みがある、前には水溜のような窪地。 これからが本番の山登りだよ。 |
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上見ても下見ても、草木で覆われてきた。 たまにはネクタイ姿で真面目な顔する時もある、でも草を身に着け一歩づつ進む今は、もっと真剣。 見せてあげたいけど、誰もいない。 |
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まだ途中、草木の隙間から見え出したよ。 左の田んぼの向こう側の山、番城山城なのかな、かなり下に見えているよ。 まだ草木が続く、何度かあきらめかけた、「がんばろう」。 気持ちの中で誰かがささやく。 |
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「三角点」、出たよ、山頂。 丁度「国土地理院」の測量点、今思えば地図作りの仕事もしたかったな。 ロボットにビデオ付けて、誰も行けない山奥を登らすんだ。 ビデオにネクタイ姿で真剣な顔した人が映っていると、びっくり。 |
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と訳わからない事を書いてる間に郭だよ。 六箇所の郭があるらしい、尾根に沿って北は四つぐらいまで分かった。 数箇所の廃坑と井戸があるらしい、でも分からない。 |
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削平地の西面周辺をとりまく帯郭。 ロボットはここまで来てくれるかな、よけいな心配をしながら戻ります。 この山で当時は金も掘っていたという地名も残っているらしい。 |
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戻ってきた、丁度「国土地理院」の所、ここが主郭なんだね。 反対側の南を見た、きれいに整備された郭と登山道がある。 帰りは快適な尾根道を歩いた歩いた、いくら歩いても下に降りられないよ。 |
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「夢前の夢」 車を置いた所から離れていく、道の途中から草木にまみれて降りてきた。 そこから置塩城が見えた、夢前川は工事だね。 赤松家を再興した時のお城、播磨の中心だった。 真下は道路、足ジンジンで金網にへばりついてるロボットみたいだね。 |
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播磨の赤松円心は足利尊氏に味方し、室町幕府時代には播磨・備前・美作の守護に任じられ、中央での四職として勢力を持ちました。 ここ夢前は西播磨、でも話は東播磨の小野市です。 当時東播磨の中心であった小野市では赤松一族の河合城主・上月氏を拠点に、金鑵城の中村氏、豊地城や小田城の依藤氏、小堀城の光枝氏、岡城の丹生氏などが赤松氏に従っていました。 嘉吉元年(1441)、赤松満祐の「嘉吉の乱」で赤松一族は滅亡し、播磨は山名氏が支配するのです。 嘉吉三年(1444)、南朝の尊秀王と南朝支持者は、皇統のシンボルである三種の神器のうち宝剣と匂玉を奪う事件を起こしました。(禁闕の変) 長禄元年(1457)、赤松家再興を望む赤松浪人たちは、「匂玉」奪回の報酬として総領家再興の約束をとりつけたのです。 そして、東播磨の中村氏・上月氏・依藤氏・丹生氏らは吉野の南朝へ攻め入り、皇子二人の首をあげ、南朝にあった三種の神器の一つ「匂玉」を奪回しました。 (長禄の挙) 文明元年(1469)、この功績により再興を果たした赤松家は、政則を当主として夢前に築いたのが置塩城です。 この置塩城の西を守る城として赤松正満が築いたのが鞍掛山城、その鞍掛山城の別名が中村城と呼ばれている理由は、赤松正満は小野市の金鑵城・中村正満と同一人物と思われるからです。 『参考文献を参照』 |
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