兵庫県西脇市黒田庄町黒田 | |
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社町から175号線を北上し、黒田庄町の「田高交差点」を東へ、「新中橋」で加古川を渡り、東へ700mぐらいのには黒田城(くろだ)があります。 | |
黒田官兵衛の黒田氏、実は2つの系図があるらしい。 近江国の伊香郡木之本町黒田、琵琶湖の北の端ぐらい。 官兵衛から三代前・高政が岡山県の福岡に移り、その子・重隆が姫路に来るんだよね。 もう一つがここ黒田庄、重隆から六代前の重勝が築いたお城だよ。 |
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「新中橋」で加古川を渡る、黒田庄町の案内があるよ。 「城山」とある、そこまで見ながら南の黒田庄中学校まで来て、その南側が城跡と思い込んでいた。 もっと素直に東へ進めばいい、と言いながら通り過ぎて向こうの山裾でおじさんに尋ねたよ。 |
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上の写真の山が黒田城だよ。 小川に架かる橋を渡ると鳥居、「下島碑」という石碑があるけど、なんやろうね。 山頂まで稲荷神社の鳥居が続いているよ。 |
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石段を上がり、土段を上ると山頂。 ようやく雨も上がってきた、姫路城や御着城の黒田氏のこと、いよいよ近江に行く日が近づいた。 と言いながら、雨上がりの紅葉日和、美作方面に行ってしまうのかな。 |
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秀吉の天下獲りを支え、稀代の軍師として知られる黒田官兵衛は、江戸時代に編纂された福岡藩主・黒田家の公式記録「黒田家譜」によると、播磨国姫路城で生まれ、官兵衛を輩出した黒田氏は近江国の出自とされており、これが通説となっています。 一方、江戸時代に編纂された播磨の地誌類や記録類には、「黒田官兵衛やその父は、多可郡黒田村(現在の西脇市黒田庄黒田)生まれ」とするものが多数あります。 江戸時代の播磨では、黒田氏や官兵衛は多可郡黒田村の出身と広く認識されていたようです。 また、荘巌寺が所蔵する「荘巌寺本黒田家略系図」には、黒田氏は播磨守護の赤松氏の一族で、丹波との国境である黒田城に居城します。 黒田氏を名乗ったことが始まりとされ、官兵衛は8代城主・重隆の次男として誕生したことが記されています。 ここ黒田集落には、黒田氏や官兵衛にまつわる伝承地が多くあります。 中世・戦国時代に築かれ、黒田氏9代の居城であったといわれる「黒田城址」、山下にあった城主居館と屋敷群である「多田城址」、多田城に付随する邸宅跡と伝わる「姥が懐」、落城の際、幼い官兵衛と母・於松(おまつ)の別れの地となった「松ケ瀬」などがあります。 さらに、近くには別所氏を攻めた三木合戦の際に、秀吉が臣下の官兵衛に戦勝祈願をさせ、その奉納金により改築されたと伝わる「兵主神社」や、秀吉が采配を行った際に座った「太閤腰掛石」の伝承地もあります。 通説とは大きく異なる説ですが、ここには官兵衛誕生・黒田氏発祥の里としての伝承が残っています。 『現地案内を参照』 |
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