明泉寺陣所

兵庫県神戸市長田区明泉寺町

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J神戸市営地下鉄西神・山手線「長田駅」から北へ、長田神社を過ぎて宮川町9交差点を少し超えたところを東へ曲がります。

細い道をそのまま進むと明泉寺があります。

ここは源平の一ノ谷合戦で、平盛俊が陣を構えた明泉寺陣所(みょうせんじ)です。
  
  
明泉寺略縁起によると、山号は天照山、大日寺、大日さんで知られ、牛の寺としても信仰を集めています。

源平の一ノ谷合戦では、平盛俊が陣を構え、義経の来襲に備えたため、戦火で焼けました。

観応2年(1351)、赤松光範により、この地に復興されたんだね。
 
  
境内には平知章のお墓があります。

16才の知章が父知盛を助け逃れさせ、自身は討死します。

このお寺から北方の谷モンナ池の辺りで、藪の中に塚があったのを境内に移し祀っているのです。

明泉寺の戦いは吉川英治さんの「新平家物語」で詳しく出てるらしいいよ。

    
「一ノ谷の合戦」では、東の生田神社から西の一ノ谷までを平氏は陣を構え、東の生田口に平知盛、西の一ノ口には平忠度、そして山の手の鵯越口には盛俊が配備されました。

元暦元年(1184)、社町の三草山合戦で平家軍を夜襲で破ると、土肥実平は西から、義経はひよどり越えで一ノ谷に向かい、平氏の陣は破られると、この辺りまで後退して寄せ来る源氏を待ち伏せていました。

そこに現れたのが源氏の猪俣小平六則綱で、盛俊は「六七十人力」の豪傑だから、たちまち彼を組み伏せてしまいます。

しかし、ずる賢い小平六の必死の命乞いに、力持ちだが気の優しい盛俊がこれを聞き入れてしまったのが、失敗のもとでした。

折れしも別の源兵の駆け来るのに盛俊が気を取られている隙に、小平六は盛俊を泥田の中に押し倒します。

相手の太刀を引き抜きざま滅多突きしたため、さしも剛勇の誉れ高い盛俊も、この地において無念の最期を遂げたと云われています。

平盛俊の墓は神戸市長田区庄山町に、塚は神戸市長田区名倉町にあります。

『参考文献を参照』

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