兵庫県加古川市加古川町中津 | |
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加古川バイパス、「加古川ランプ」で降りて、18号線を北へ走ります。 中津と大野のバス停の中間ぐらいの交差点を西へ、加古川近くまで進むと権現神社(熊野神社)、そこが中津構居(なかつ)です。 |
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梶原氏は相模国の出身で、景時は源頼朝に仕えて播磨に移り、高砂城を拠点としていました。 相模だから鎌倉権五郎景政と呼ばれていたのかな、権五郎だから権現神社なのかな。 |
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「権現神社」 神社の奥、当時の土塁かな、光で目もかすむよ。 境内で一休みしようと思ったけど、同じような人が真剣にメモとったりしてた。 「自転車のおっちゃんが寝てた」と書かれそうなので、背筋伸ばし笑顔の自転車で立ち去りました。 |
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「加古川水管橋」 丁度、橋の向こうの所に権現神社があるよ、この橋が目印だね。 この橋を渡るのは初めて、この辺りは「升田堤」といって1658年に姫路城主・榊原忠次によって整備されたらしいよ。 左の山が日岡山、そこに「風土記の道」がある。 |
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「風土記の道」 ここは加古川の西側だよ、びっくり。 日岡山にあった「風土記の道」と同じ標識がある、加古川の東からずーと西へ続いているんだね。 |
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播磨鑑には梶原冬庵古城とされ、天正六年(1578)の秀吉による三木城攻めの時に、鎌倉権五郎景政の末裔が神吉城で討死したとあります。 また播州古城記にも、鎌倉権五郎景政の末裔・梶原十右衛門(冬庵)の居城で、神吉式部貞範に従い討死とあります。 『参考文献を参照』 |
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