兵庫県加古川市八幡町野村 | |
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加古川線の「厄神駅」手前の「上荘橋東交差点」から65号線を南へ、「上西条交差点」から東へ向かい84号線を超えると厄神八幡神社があります。 この神社の境内と背後の山が野村城(のむら)です。 |
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宗佐の厄神さんと呼ばれる八幡神社にあります。 前の駐車場から「御神水」を見て、石段を登る途中には堀や土塁らしき所があるよ。 でも、この城跡の碑は境内の奥側にある。 東西19間・南北13間というから、 34mと23mの本丸があるんだね。 |
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「八幡神社」 厄除けの大神の話。 九州の宇佐八幡に向かう和気清麻呂が道鏡の家来に襲われた時、一頭の大猪が現れ、清麻呂を救いました。 それ以来、大神様として崇拝されるようになりました。 この話、岡山の和気郡の北曽根城で書いたね、岡山に行きたくなってきたよ。 |
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野村城主は3つの説があります。 1.文明元年(1469)から天文年間(1532-54)まで野村氏の居城でした。 2.城主名は不詳で、三木城主・別所氏の幕下といわれていた。 3.天正六年(1578)、秀吉の中国平定出兵の時、秀吉の幕下に参加し、天正八年(1580)の三木城攻めでは法界寺の裏山の防御を落として、善祥房砦を築いたといわれる宮部善祥坊(継潤:つぐます)です。 宮部継潤は三木合戦や鳥取城攻めで戦功を立て、のち鳥取城主になった人物です。 『参考文献を参照』 |
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