奥野将監屋敷

兵庫県加西市下道山町

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中国自動車道、「加西IC」から24号線を北へ走り、「満久交差点」を西の145号線へと曲がります。

3kmほどで北の道へ入ると礒崎八幡宮、その山裾には奥野将監屋敷(おくのしょうげん)があります。
   
   
元禄十四年(1701)、赤穂藩浅野内匠頭長矩は、江戸城で刃傷事件を起こし、浅野家は断絶しました。

奥野将監は大石良雄(内蔵助)に次ぐ浅野家の重臣です。

ここの奥には墓石、将監の娘の子のものと云われています。
 
  
「礒崎八幡宮」

加西市には赤穂藩の所領があり、赤穂義士とは深い繋がりがあります。

礒崎神社の30mほど東、馬場先と呼ばれる山麓に居を構えていたのです。
    
   
「石部神社」

奈良時代、44代元正天皇の皇女が安芸の宮島・厳島神社へお参りし、帰りに嵐に会い室津に寄りました。

陸路を東へ進まれ加西市まで来られた時、疲れから病気になられました。

すごい杉、根回り5m高さ30mだよ、養老三年の鎮座の後で記念として植えられたらしい。 
   
    
「皇塚古墳」

お供の看病のかいもなく皇女はこの世を去られ、皇女のなきがらを三津山の頂上に葬りました。

それがこの皇塚古墳です。 加西市は石仏をはじめ、赤松氏や別所氏ゆかりの地、そして沢山の古墳があります。

初めて赤穂浪士との繋がりを知り、少し驚いています。
   

    
赤穂浪士の一人・奥野将監定良が隠れ住んだという屋敷跡です。

奥野将監は、赤穂藩で大石良雄(内蔵助)に次ぐ重臣で、江戸城刃傷事件の後、同士と主君の仇を討とうと誓いましたが、結局討ち入りには参加しませんでした。

その後、将監の娘が礒崎神社の神宮寺に嫁いでいるのを頼り、ここしばらく居を構えます。

屋敷は、山麓に位置し狭小で、ひっそりと暮らしていた様子が伺えます。

奥の墓石は、将監の娘の子のものと云えられています。

将監はその後、現在の中町に移り没したと言われています。

『現地案内を参照』

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