大木城

兵庫県西脇市野中町

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社町から175号線を北上し、西脇市街から国道427号線を北西に走ります。

杉原川を越え「市原町交差点」から北へ入ると天目一神社、その北側には標高164m(比高84m)の山頂に大木城(おおき)があります。
  
  
ここは西脇市、「日本のへそ」だよ。

黒田官兵衛、その伝承も謎になるのかな。

それが城跡探索の楽しみ、謎は謎でいいんだよね。
 
  
「天目一神社」

向こうに見える山が大木城だよ。

4千年前の縄文時代、この辺りの沖積平野で人々が生活していた、土器が出土しているよ。

戦国時代には、多可郡の野間城の在田氏が領有していた所だよ。
   
  
麓のグランド横から、整備された登山道を直線に歩く。

雨で所々、すべりそうになるけど15分ぐらいで稲荷神社、主郭だよ。

案内には南北31m、東西17mの主郭。 その周辺には帯曲輪とある。 
  
   
一段大きく下がって、奥まで明確でない平削地が続いている。

50mぐらいで東からの登山道になる、でも引き返すよ。

雨の後は大変、下りですべるすべる、座って下りるよ。  
  
   
天照大神が弟・須佐之男命の乱暴に怒って、天岩戸に隠れた時、岩戸を開くための祭りに使う刃物や鉄鈴を造ったのが天目一命(あまのまひとつのかみ)です。

それ以来、鍛冶の神様なんだね。

日本の島を沢山生んだ「イザナギ神とイザナミ神」、最後に生んだのが天照大神や須佐之男命だよ。

いよいよ神話の話、城跡探索も時代が訳わからない状態、でも「謎」を楽しめるからいいよね。 
  

  
大木城跡は南北に伸びる山塊の南端の平野山山頂(標高164m、比高84m)に築かれています。

現在、神社の境内となっている主郭は南北31m、東西17mあり、その周辺を幅2〜4mの通路兼帯曲輪がまわっています。 城跡の北端には浅い堀切を設けて尾根づたいの防御をはかっています。 

城があった当時の大手道は東山麓のかって平野神社があったあたりから登っていたようです。 大木城が作られたくわしい年代はわかりませんが、城の構造からは戦国時代の築造と考えられます。

このころの山城は合戦のときにこもるための城で普段は見張り番がいるだけでした。 そのため建物も粗末な小屋程度しかなかったようです。

大木城の城主は明らかではありませんが、黒田荘の黒田重勝の弟である光氏が野中六郎と名乗って野中城に居住したという伝承があります。

当時この付近は富田荘の野中郷と呼ばれていたことから、この大木城が伝承の野中城であるとも考えられます。

『現地案内を参照』

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