小佐城

兵庫県養父市八鹿町小佐

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播但連絡道路、「和田山IC」で降りてから312号線を北へ、和田山から国道9号線を走り、「宮越交差点」から養父市役所方面に入ります。

267号線を西へ走ると九鹿城、その西の小佐に入ると北側の山麓には小佐城(おさ)があります。
  
    
但馬では伊達氏や朝倉氏の名が出てくるよ。

朝倉氏は越前朝倉氏とつながるけど、伊達氏は伊達政宗とつながってくるのかな。
 
  
「洞泉寺」

北側の山から続く高台、洞泉寺が建てられている所が城跡と云われています。

もうすぐ日本海はカニ、もう20年も同じ顔ぶれ、さっと行って、言葉少ない早食い、さっと帰る。

店で並ぶのはいや、メニュー見ながら、いつもの立ち食いソバ、友には山城に寄る口実は通用しない。
    
    
お寺から南を見ると山が連なり、ずーと東(左)には八鹿城や九鹿城があります。

いつの日か、友と一緒に但馬の城跡に行けたらいいな。

でも、しばらくは早食いの方が似合う、そんな友の方がいいかな。 
   

    
伊達氏は常陸国(茨木県下妻市)の出身で、伊佐氏または中村氏と称していました。

文治五年(1189)、源頼朝による陸奥・藤原氏を平定する軍勢に参加し、その功績で陸奥国伊達郡に所領が与えられ、伊達氏と名のるのです。

承久三年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を討とうとした「承久の乱」の時、鎌倉方に味方した伊達為安は、その恩賞として、小佐郷の地頭職を与えられました。

弘安八年(1285)、小佐の地頭職は同族である、安原兵衛入道高長・名越尾張入道公時・伊達五郎三郎(宗綱)・阿波孫五郎に分割されました。

しかし、阿波氏から立石法阿に地頭職が引き継がれる頃、この地をめぐって伊達氏と立石氏との間で争いが始まりました。

この伊達氏は八鹿城、立石氏は九鹿城・小佐城を築き、結果伊達氏が勝利して九鹿城と小佐城を本拠とし、但馬への勢力を拡大していくのです。

『参考文献を参照』

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