淡河城

兵庫県神戸市北区淡河町淡河

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山陽自動車道「三木東IC」を出て38号線を東へ5kmほど行くと、播磨と摂津の国境となり、この地には湯乃山街道を見下ろす高台に、淡河城(おうご)があります。
 
自動車道沿いに流れる浦川に架かる大手橋を渡り、南へ道なりに本丸門から入る方法と、淡河本町交差点を南に入ります。
    
    
すぐのところにお寺があるので、そこから徒歩で橋を渡り、急な斜面から本丸東に入る方法があります。

この淡河城は、鎌倉時代・南北朝時代・戦国時代と、いつの世も激しい戦いをくりひろげた舞台なのです。

ここの拝殿の中には「淡河復元図」や、羽柴秀長との「淡河合戦図」があります。
 
  
本丸、天守台、ニの丸、南の丸、西の丸が置かれていました。

右には本丸、左側には二の丸があり、その間は深い内堀ではりめぐらされています。

南以外の三方は、20mの断崖で、まさに天然の要害になっています。
    
   
淡河氏の墓碑がある竹慶寺の跡です。

内堀の外側には、二の丸の一部と淡河氏の菩提寺である竹慶寺跡があります。

ここは、江戸時代中期ごろに廃寺になり、境内には歴代の城主の墓碑や石碑があります。
   

   
淡河の里を眼下(比高差20m)に一望できる河岸段丘上端に築かれたこの城は、淡河氏代々の居城でした。

しかし天正六〜八年(1578〜1580)秀吉による三木城(別所氏)攻めの後は、有馬氏一万五千石の居城として慶長六年(1601)まで、淡河と共に栄えてきました。

城の遺構は現在、本丸と天守台、堀を残すだけとなっています。

幅15m、深さ3〜5mの堀に囲まれ、本丸の南辺に東西50m、南北8〜16mの天守台を配する構えは、当時の面影を残しています。

また、本丸の南東には竹慶寺跡があり、境内には城主淡河氏代々の墓碑があります。

『現地案内を参照』

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