嵐山城

兵庫県姫路市景福寺前町

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姫路城から500mほど西の景福寺山、ここ姫路城十景の一つは嵐山城(らんざん)です。

「播磨風土記」の頃、姫路の街は海だった。 父子の神を乗せた船をつけたのが因達神山、そして波を起こして船が壊れたところが船丘、この景福寺山なんだよ。
  
   
別名は景福寺山城、ここは景福寺公園、世界遺産姫路城の十景らしい。

大手前通り、三の丸広場、城見台公園、美術館、シロトピア記念公園、男山配水池公園、景福寺公園、名古山霊苑、手柄山、増位山だよ。

天守から見る景色もなかなかいいよ。
  
  
「船入川之跡」

昔は妹背川と云われ、江戸時代には姫路城下町の繁栄のために船着場を造り船場川としました。

それから三百年、高瀬舟が帆をあげ飾磨港との間を往来したのです。

この船場の街には「船場八景」があり、江戸時代に庶民が作った和歌が八ヶ所で紹介されています。
   
   
「景福寺」

寛延二年(1749)、松平朝矩(とものり)が前橋へ移る時、菩提寺の孝顕寺も移しました。

のち酒井忠恭(ただずみ)が入ると、摂津から景福寺もこの地に来ました。

景福寺山には松平明矩(あきのり)の墓所、姫路藩士の墓石があります。 
   
   
「酒井家の墓所」

酒井忠学(ただのり)の室、つまり十一代将軍・徳川家斉の娘である喜代姫。 酒井忠宝(ただとみ)の妃である喜曽姫。

そして忠績(ただしげ)の室・婉姫(えんひめ)の三人の墓です。 横には酒井家の子供たちの墓碑が並んでいる、でも3人の城主の墓は前橋や東京にあるんだよ。
   

   
永享十二年(1440)、関東の結城城主・結城氏朝が足利持氏の遺児・春王丸と安王丸を擁立して茂木城(栃木県)で兵を挙げました。

足利義教から結城氏討伐の命を受けた赤松満祐は、播磨の豪族を動員するのです。

しかし男山構主・山野新藤次成明や那胡山構主・那胡七十郎頼三と同じく、嵐山城主・渋谷二郎太夫長秀も命令に従わず、閉戸追放となるのです。

全員で十四名が命令に従わなかった、このお城で3人目だよ、その理由は何だったのだろうか。

『参考文献を参照』

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