利神城

兵庫県佐用郡佐用町平福

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中国自動車道「佐用IC」から373号線を北へ約3km、西に「道の駅宿場町ひらふく」、東には「平福駅」、その背後の標高373m山頂には利神城(りかん)があります。
 
2006年4月、いつ来た春は、知らぬ間に過ぎる。 平福の街、川端を歩く、古き時代の穏やかな流れも春なのかな。
   
   
街は「平福藩陣屋」と呼ばれる宿場町、山麓には御殿屋敷が残っている。

何回来たのかな、でも初めて利神城に登るよ。

ここは別所氏が赤松氏の本城・白旗城(上郡)を防備するために築いたお城だよ。
 
  
道の駅から「利神城跡」が見える、下では智頭(ちず)急行鉄道の青い一両電車が走り抜ける。

南にたどれば、佐用の上月城、千種川沿いには白旗城、円心駅の近くだね。

そして苔縄駅、JR上郡駅へとつながる、まさに探索路線だよ。
    
   
駅から南へ、線路をくぐり、石積み見ながら上ると、平福の街並だよ。

途中の「利神城跡」の大きな看板、風でちぎれている。

石垣も崩れたら危ない、でも看板も風で飛んだら危ないよ。
   
   
30分ぐらい歩いたかな、最後は土で滑りそう、雨の日は止めた方がいいよ。 東を見る、どこかで見たような風景、そう岡山の鬼ノ城のようだ。

ずーっと尾根がつながって向こうにあるのが「馬場」。 西側は長城と呼ばれる石垣ラインもいいよ。 
   
   
最近、黒澤明監督の映画を見ている、「影武者」や「乱」はすごいよね。 石垣が沢山、馬もいっぱい走る。

最後の字幕、コッポラやルーカスの名前も出てくるんだ。 「ゴットファーザー」や「スターウォーズ」だよね。 
   
   
そうそう、「七人の侍」は「荒野の七人」。

高校生の時、加古川の十畳ぐらいの映画館で「生きる」を見た、たしか「青い山脈」と二本立て。(いくらなんでも、片平なぎさ版だよ)

30年間、仕事一途の真面目な人間の話、最後は公園のブランコで揺られているんだよ。
   
   
誰もいない、一人の天守。 相変わらず、おにぎりは2つ。

南は赤松氏の播磨、西は浦上氏・宇喜多氏の備前、それとも美作かな。

平福通る因幡街道、北へ行くと岡山の大原、智頭から河原、そして鳥取城、懐かしいなぁ。

少し風が吹いてきた、後ろを見る、誰もいない。
   
   
道の駅には沢山の人、地元の野菜を見ながら、暖かいコーヒーを飲んでいる。

運転の疲れを癒している。

一人の少年、陣屋門でカメラをかまえては山頂を見つめてる、「まだ一人では上れないね」。

彼もいつの日か、同じ風景を見ているのかな。

半分まで飲んだコーヒー、春なのに、残りは手のひら暖めているんだよ。 
    

   
赤松一族から最北端の防備の任をうけた別所敦範が貞和五年(1349)に築城します。

その後、別所一族が約二百年間この地を治めるが、天正六年(1578)秀吉の中国攻めにからみ山中鹿之助に攻められ落城します。

その後、姫路城主・池田輝政の甥、由之により慶長五年(1600)から約五年の年月をかけて行った大改修で現在の城となります。

標高373mの利神山の山頂に三層の天守丸を配した連郭式山城は、東西300m、南北500mにも及ぶ総石垣造りの広大な山城で、別名を雲突城とも呼ばれました。

これを見た輝政は、余りにも壮大であるため天守破却の命を下し由之は退却させらるのです。

寛永八年(1631)、最後の城主、輝興が赤穂へ転封。 これにより平福は、城下町として歴史を閉じ鳥取藩の本陣を置く宿場町として栄えることとなるのです。

『現地案内を参照』

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