三枝城

兵庫県姫路市夢前町前之庄三枝草

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県道67号線をひたすら北へ、中国自動車道を過ぎます。

更に1kmほどで夢前町役場があるので、手前で東の407号線へと入ります。

500mほど行くと、山麓には「宝積院」があり、この地が三枝城(さえぐさ)の跡になっています。
  
    
江戸時代、寛永の頃(1661-72)、三枝城の跡地には宝積院観音寺が移りました。
 
  
院の正面はお城の石垣だよ、りっぱなものです。

西側にもあったらしいが、見るのを忘れていました。
   
   
「麓に寺院あり、山頂に城跡あり」という資料があるらしい。

さっそく院の裏から、山に登ってみたよ。 途中には沢山の石仏があって、最初の山頂にはこの石仏が祀られていました。

次の山頂に行きたかったけど、そのまま雪彦山に行ってしまいそうなので、ここで引き返しました。 
   
   
「三枝草板碑群」

三枝城の東、県道407号沿いにあります。 向こうの山裾に宝積院がありますよ。

この二番目に大きなものには地蔵菩薩像が刻まれ、仏像の下に至徳3年(1386)と刻まれています。

夢前町では最も古い石仏として文化財に指定されています。 
   

    
嘉承二年(1107)、源義親が出雲で反乱を起した時に源師季もこの乱に加わるのですが、平正盛によって討伐され播磨佐用庄に配流されました。

師季の子・季房が佐用の地にとどまり、名前も山田季則と改めました。

この山田季則の長子・頼範は佐用宇野氏、次子・正頼は夢前郡三枝氏、三男・頼清は三木郡別所氏となっていくのです。

そして、この三枝正頼が三枝城の初代城主となりました。

小野市の小堀城主の初代は光(三)枝三郎正頼といわれていますが、同じ人物かはよくわからないです。 でも、人物はどこかでつながってくるから歴史は面白いですね。

この正頼から八代目・景恒は白旗城主・赤松円心に属し、のち頼邦、頼成と続くのですが、永和三年(1377)頼成の時に雷で焼失したそうです。

『参考文献を参照』

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