志方城

兵庫県加古川市志方町

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JR宝殿駅の西側の県道515号を北上し、皿池の交差点で東へすぐのところに志方城(しかた)は在ります。

現在の観音寺境内を本丸とし、内堀の周囲二の丸(志方小学校)、西の丸(旧志方町役場)で、かなりの規模の城でした。
  
  
ここは街中に入るので、地元の人に聞いた方がいいと思います。

お寺の境内を入るとすぐ右手に「観音寺城跡(志方城)」の碑があります。
 
   

  
曹洞宗の寺院で本尊は観世音菩薩です。 観音寺の附近一帯は志方城です。 現在の観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(志方小学所在のあたり)、西の丸(旧志方町役場所在あたり)とかなりの規模の城であったようです。

この城の城主・櫛橋家は伊朝を祖とし代々赤松氏の家臣で、伊朝より五代の孫、櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んじられ、祖父の例にならって播備作三国の財産出納の役をつとめ文明十三年(1481)志方・天神山に城を築き、明応元年(1492)この地に志方城を築きました。

以来、伊家、伊定、政伊と父子四代続き、天正六年(1578)秀吉の攻略にあって落城します。

伊定の娘、光(てる) 幸圓(こうえん)は秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛の妻となり、結婚した翌年に嫡男が生まれたのが、後の福岡藩主・黒田長政です。

現在の観音寺は、志方城落城の後、天正十五年(1587)、宝岩宗珍和尚が城主の墓碑を守りために城の本丸跡に禅寺を建立したのが始まりです。

『現地案内を参照』


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